話が前後します
すみません。
今回は交通事故前の私の話。
2014年〜2017年の頃
どんな『私』が
『変わりたい』気持ちを胸に
どう取り組んでいたか。
前記事よりはわかりやすいと思います。
こんにちは。
『空』こと
蔵石恭子です
変わりたい
ずっとそう思ってたけど
何を変えたかったかって、
ただ漠然と『自分自身』
という感覚だったんだと思います。
いま、あの頃の自分を振り返って言えば
『いま(あの頃)の自分が
自分のことを
こんなふうに(しっくりしていないと)
感じていること
を変えたい』
というかんじ。
もうね、
すべてが曖昧だったの。
『何が?』
と問いかけられると
『ちゃんと答えられなくなる自分』
説明してても
途中で言いたいことがあやふやになったり
言葉が出てこなくなる。
はたまた
どっかから聞いてきた話を
さも自分の事のように話そうとする。
これも、また客観的に状況説明すると
自分の頭の中で
自分自身が整理できていなくて
全部が『たぶん』という
何に関しても
わかっているようで
全然わかってない。
ルールや正しさに
無理やり
自分の思いをねじ込めようとしてる。
そういう作業をいつもやっている。
そんな感じだったんだと思います。
『どうすれば変わるんだろう?』
と
『やり方』にこだわっていた頃
『なかなか変われない』
という現実がありました。
『それがどうしてなのか?』
その『カラクリ』については
これでもか、というほど調べ上げたし
それについて知ってる人の話を聞こうと
時間を割きました。
(調べるのは苦じゃないエレメント風と
分析大好きな乙女座が火星の私)
だって
『やり方』の何かが違うんだ
と思ってたから。
だけど
調べれば調べるほど
『やりかた』もあるけど
それだけじゃないみたいって思えてきた。
それは
やったことに対しての『結果』を
自分がどう感じてるか
どこまでやれば
『成功』『変われた』と思えるのか
ゴールの状態を基準を決めているか
ってこと。
これ、すごく大事だった。
だって
ゴール決めてないのに走り続けたら
息は切れるし
モチベーションも維持できなくなるし
満足感も
達成感も
どんどんあやふやになって
自分が何をしたかった、のか
初めた頃よりどんどん迷宮入りしてる自分がいる
ことには気づいていたから。
ついでに
出口がどんどん遠ざかってたことには
気がつけなくなっていた。
だけど
『ゴールって何なのか?』
『ゴールはどこなのか?』
ってなったら
全く見当がつかないわけで。
だから
『人の基準』を『自分の基準』に置き換えて
またまた『どうにかしよう』
ってなってる自分。
その頃かな。
交通事故にあったのは。
『仕事を離れて考えたい』
って思った頃に交通事故に合ったから。
『改装工事でレッスンお休みになるなら
いつからだったら長期に休めるかな』
って思った日の帰り道に交通事故に合ったから
交通事故に合ったことは
天から『強制終了』がかかったと思ってます。
『そっちじゃないよ(今までやってきたこと)
』
ていう『最後通告』
私に気づかせるために
ゼロに戻させてくれた。
今までと違う状態にしてくれた。
(強制終了とは
事故や病気、身近な人の死という
大きな出来事を体験することで
価値観、考え方がガラッと変わるキッカケになること
といわれます)
私の潜在意識が
本当に心から休みたがっていたことを痛感できたし
『仕切り直そう』っていうことだな、って
入院してる病室で思ったなぁ。
身体中、痛かったけど
休めることに感謝だったし、
『運動』できなくても
毎日めっちゃ楽しかったし、
『あたし、こんなに休みたかったんだ…』って
心の底からほんとうに感じてた。
『交通事故』が大きな転換期になった。
何かの制限(時間とかルールとか)を感じることなく
日々を過ごしているうちに
いままでの
『やり方』にこだわるんじゃなく
『違う何か』をしてみようと思えたんだから
いま振り返ると
ほんとうにありがたい出来事になりました。
で、
『何か違うこと』って何よ?
てなるんだけど。
とにかく
いままでの(苦しかった)自分の考え方、
『自分の基準』『設定』
これが何なのか
『決められない』自分がいたから
『どうすればそれが決められるようになるのか』
自分のことを知ろうと思った。
自分が自分を知らなさすぎる
(わからなさすぎる)
そう思ったから
徹底的に自分を理解しよう
と思った。
『何をすれば』
から
『自分がした(やった)こと』
『自分の行動理由(何を思ってそれをしたのか)』
『これをしたらこうなった』
『こうだと思ったからこうした』
そのデータを
徹底的に拾っていった。
『自分の内側にあるもの
(思考やルール)が
外側(現実)にどう現れるのか』
自分の目の前の『現実』を
客観的に『データ』として
『起きた事実』として
『ありのままに受け止める』
それが前記事の
『実験』を重ねた
ということです。
それを続けていくうちに
『現実が起きるしくみ』
がわかってきた。
自分が考えてること、
自分が想像してること
自分のルール(信じていること)…
そういう
自分の内側にあるものが
『時間(時差)』を経て
そのとおりに現象として現れる
というしくみ。
簡単に言えば
自分の潜在意識が現実を創ってる
ということを
自分が過ごしている生活を通して
実感できるようになったわけです。
(『時間』という概念が変わったのもその頃です)
潜在意識とは
目に見えない、
自分の頭で理解できていない、
心の奥底にある本音の気持ち。
たとえば、
『うまくいく!』
と言葉で
頭で思っていても
心の底
自分で気づかないところの気持ちが
『どうせ無理だよ』とか
『うまくいけばまぁいいけどね』とか
本当はそう思っていない、
本音は違う、
心底それを願っていない、
ことが現実になるということ。
『そんなはずない』
と顕在意識の自分がいても
潜在意識は自覚のない部分なので
本当に本当の『本音』は何か
を理解すること
が
自分の現実を客観的にデータとして集めたことで
『現実』とつながり始めたわけです。
で、
やってて気づいたのが
肉体に対しては(カラダの感覚)
子供の頃から
自分のデータを集めまくってきていた
てこと。
私は
子供の頃から
カラダに対しては
違和感なく
自分のカラダの感覚を分析をすることで
怪我をしても
痛みがあるときも
ヒントは自分の中にある、と
いつも冷静に判断できていた。
(これは子供の頃
原因不明の病名をつけられない症状に
新薬を試されいろんな副作用を経験したり
みんなと違う自分のカラダ(怪我をしやすい身体の構造)
を持って生まれてきた私の宿命だと思うし
そこで経験してきたことは財産だと思ってる)
交通事故に合ったときも同じ。
アザだらけだし
手も足も腫れてるし
首も背中もバキバキで
胴体が固まって動かないけど
心配はしてなかった。
生きてるならこの身体は大丈夫。
根拠も何もないけれど
私は何も心配してなかった。
子供の頃の身体に対するいろんな経験で
この身体は私が守る(助ける)
(もちろん信頼できるドクターや治療師さんにも助けてもらいながら)
と思える自分がいたから。
(後遺症は毎日バリバリありますよ。
いちいち言わないだけで。
でも、
私がやりたいことができているから大丈夫。
わざわざできないことにフォーカスしない)
だから
自分のカラダに対しての
人とは違う意識の向け方、
こうすれば『動く』『できる』『大丈夫』という
感覚の信頼感を
生活のすべて
心(思考も含め)に対しても
同じように思えるまで
『感じて確信になる』ことを増やそうと思った。
全部のことに対して
自分の感覚を信頼できるようにやってみよう
そう思えるようになったのでした。
ふぅ〜
こっちを先に記事にすればよかったよね。
ごべんなざい💧
私のタイミングが
普通とは違うらしく
今回はこんな状態で書き上げました。
長くなってごべんなざいね。
私に興味を持って頂いて
ありがとうございます。
嬉しいです。
あ、最後に
今のわたしのゴール設定。
いまこの瞬間の自分を理解すること
ここを大切にしています。
理解とは
自分が何を感じているのか
自分はどう思っているのか
ということにフォーカスすること。
『正しさやルール』『人の目』
から一旦離れて
『本当の自分の本音』を明確にするということ。
日々、練習の連続。
こんな偉そうに言っても
批判もすることだってあるし
愚痴を言うことだってある。
だけど
それを含めて
ダメダメな自分も私だから
無理せず、そのままの自分で生きていきます
いつもお読み頂きましてありがとうございます

