『健康』の基準って
何ですか?
一般的に知られる
この範囲の中でいるならOK
という
検査や指標という
数字が基準でしょうか?
それとも
とりあえず風邪をひいていない
とか
大した怪我や痛みもなくて
普段の生活ができていることでしょうか?
では
どういう状態が
『健康ではない』
と判断していますか?
WHO(世界保健機関)による
健康の定義は
『健康とは
身体的、精神的並びに社会的に
完全に良好な状態にあることであり、
単に病気や虚弱ではないことにとどまるものではない。
到達しうる最高度の健康を享受することは
人種、宗教、政治的信念、経済的ないし
社会的地位のいかんに関わらず
すべての人類の基本的権利の1つである』
健康とは
肉体的なことだけじゃなく
社会での人間関係のありかたや
精神的なことも合わせてだよ、
ってこと。
・身体
・社会
・精神
この3つが合さって
=健康
今日は私個人の想いを書いてみます。
たぶん
心の奥にずっと溜めてきてものだな
『運動』を処方するという仕事をしてきて
時々感じることは
『運動していれば大丈夫』
『運動しているから健康』
と思われがちなこと。
健康=身体を動かしているから大丈夫
うーん、
ちょっと言いすぎかもしれないけど
でも
それに近いようなイメージで運動している人も
少なくないように感じてます。
良い悪いじゃないよ。
運動することはとってもいいことだし、
それが当たり前になってほしい。
(肉体が動かせる状態でないと
自分のやりたいことはできないよね。
『身体を動かせる』ことは
自分の夢を叶えるために必要なことだと思うから)
運動することを
そう信じきってしまっているかな?って
感じることがある。
『そんなことない
』
と思う方はこの先スルーして結構です。
肉体の衰えって
いちばん精神的にも不安になるでしょ?
女性は特に
美容や老化に対して敏感だから
運動を継続しているだけで
ある種の『心の保険』にもなっているんだと思います。
この場合の
『運動しているから大丈夫』は
とってもいいことだと思います。
身体を動かすってストレス発散だし、
マインドを停止できるから
(身体と思考は一緒に使えない)
私のレッスンでは
普段の『考える』世界から
『感じる』ことを優先させるように心がけて
指導してる。
『目で見える』だけに頼らない『五感』の世界。
だから、ふっちゃけ
本当はスタジオに鏡もいらないと思ってる。
だって
鏡を信じて
自分の生の肉体を
自分のものと感じなくなっていたり
(何も感じないとか、よくわからないとか)
目に見えるものや
誰かの答に合わせようとしすぎて
その答にならないと、
近づかないと、
『よくない』
って
自分の身体の感覚を置いてきぼりにして
どうにかなろうとしたりして
(できない自分を責める、否定する)
ねえ、何基準?
できることが100点?
できたら健康?
ほんと???
(マズイ、だんだんエスカレートしてきた
)
でもさ、
これって
身体のことだけじゃないよね。
普段の生活でも
いつでも
何かあると
常にそう思ってやってきた。
もちろん、
私もその中の一人だったよ。
その頃は
それが私の信じるルールだったから。
でもね、
やっぱりいつも心の底で
『ほんと?ほんとにそうなの?』
っていう違和感、
感じまくりだった。
もちろん、自分に対しても言ってきた。
(『仕方ないじゃん』とか
『今はそうする』っていう言葉で
自分を言い聞かせてきた気がする)
『運動してる人は心も健全』
なんだか
暗黙のうちに
誰もがそう思っているような感じがして。
本当にそうなんだろうか???
運動に依存して
運動していないと不安とか、
怪我しても、痛くても
運動していないといられないとか、
1キロ増えることが許せないとか、
インフルエンザなのに運動するとか、
自分の身体の声を聞かないでいるのって
本当の健康なのかな?
って
はい、
これは私が思う私のルールなのでね。
だから
皆さんは私と違ってもOKです。
(『私はこう思う』ものがあなたのルールです)
みなさん、
身体の声を聞けてますか?
自分の身体、
大切にしてますか?
その基準は
・休むこと
・遊ぶこと
・食べること
…目に見えることばかりで済ませていませんか?
そこにどれくらい
・心を大切にする
の割合があるのかな?
で、
『心を大切にする』って
どういうことだと思いますか?
『元気なときは
心のことなんて考えなくていい』
って思いますか?
心のあり方とか
心理学とか
直感とか
そういう話は
『怪しい』ことのように感じられるのかな。
『心』は見えないから
難しいって感じるのかな?
でもさ、
難しくたって何だって
『自分の心』のこと
知りたいと思うことはない?
理解したいと思うことはない?
(自分が自分を理解できると
誰かにわかってほしいという想いは
少なからず減っていきます)
『心のはなし』を身体と繋げて話すとき、
一瞬でしーーーーん
と
空気が変わったりね
翌週から来なくなったり
なんていうことも何度も経験してきました。
そのたびに
やっぱり落ち込むよ。
だって
運動してるからこそ
肉体が大切だと感じれば感じるほど
心も大切だよね!
って思ってくれるはずだと…
そう思ってくれるだろうと
勝手に信じてる
でもね、
現実はやっぱり
身体と心を切り離して考えたい人のほうが
多いのかもしれないな。
なぜって?
『心』は見えないから
『怪しい』よね?
『心』を証明することはできないから
『怪しい』よね?
『科学的』に証明できないことは
信じちゃいけないことだよね?
(※科学を否定してるわけではありません。
科学が全てではないよね?ってことです)
言い過ぎだったらごめん。
私の中にもうそのルールはないから
つい言ってしまった
『心』を大切に扱うことを話すことって
『健康』と全く関係ないことかな?
運動している人に
心の話をすることは
必要ないことかな?
『私は健康だから心の話は必要ない』
『健康になるために来てるのに
なんで心の話するの?』
身体を動かすのも
心との密接な関係があって
身体を動かしたい、
健康になりたい、
痩せたい、
綺麗になりたい、
もっと上手くなりたい…
いろんな『想い』が
『行動』として現れてることだよね。
見えない『想い 』『衝動』も
立派な心の反応で
身体が動かされてる。
肉体以外の例で言うと、
自分の心が理解できると
今までの自分のルールが
何を基準にしてきたのか
どこを基準にしているのか
がわかるから
その今までのルールじゃなくても
いられるようになるよ。
(こだわりが変わる、執着がなくなる)
そうなると
すべての基準が自分軸になるから
自分の身体に対する扱い方が変わって
食事や栄養をどこに重きを置くのか
筋肉以外の身体の内側のしくみや
人間関係の問題の根元がどこにあるのか、
社会構造のしくみや
お金のしくみまで
ビックリするくらい
いろんなことが見えてきて
今まで知らなかった
それこそ
教育や社会に
いろんなことをどんなふうに洗脳させられきた
ということがわかってくる。
おっと、
なんか話がデカくなってきた…
そろそろ話をまとめるね。
25年以上
『運動』を処方する仕事をしてきた私だからこそ
もっともっと
『心』と『身体』の関係を
ちゃんと伝えていこうという
決意表明でした
←あっさり笑
心の声…
『目に見えないもの、舐めんなよ
』
『直感、甘く見るなよ
』
てことで
またこれから時間みて
溜まりに溜まった未完了のブログを
仕上げて書いていきますね。
ねぇ、
自分を信じたくない?
自分で自分のこと、理解したくない?
どんな人生を送って死を迎えたい?
このまま死んでも後悔しない?
その肉体で何をしたい?
明日、何があるかわからないから
いつでも自分を大切にしてあげる。
自分の夢を叶えるために
肉体も
精神も
社会環境も
やりたいことをやれる環境が
私にとっての健康な状態です。
そのためにできることをする。
それが
生まれてきた理由。
いつもお読み頂きましてありがとうございます

