どうもって、おとんです
おなかの痛みのようやく落ち着くものの、何かをしていないと落ち着かない性分だけが残る。
今日、おかんと買い物に出かけたときに老夫婦の会話が耳に付いた。
「足りないのよね、足りないの」
「何がぁ~💢」
ケンカをしていた。
※落ち着きが足りません。おとん心の声。
そう、これはおとん自身に足りないもの。
~人の振り見て我が振り直せ~
とかいうものの、なかなか直らないものですね。
帰宅し、ふと壁に立掛けていた絵が無くなっていた。
「あのさぁ~ここにあった絵、知らない?」
※足りないのよ、足りないの
「何が?そこに挟んであるじゃん」
※さっきの老夫婦と一緒だ。
絵とは、おとんの描いたキキちゃんのことだ。
年末に落ちていたらしい。
出来はともかく絵を描くのも好きだった。誕生日にスケッチブックと色鉛筆をもらうほど。
何かをしていたいようだ。
昨日まで、多少おなかの痛みがありながらも曲を創る。
ただのデモとはいえ、ギターとベースと歌とコーラスとマスタリングと動画編集を3時間くらい平気でぶっ通してやり続ける。
「そんなこと」に時間を使う。
その「そんなこと」が結構大切だったりする。
「そんなこと」がきっかけで、自分自身を振り返る良い時間になった。
無駄なようで無駄じゃないんですね。
もしかしたら「そんなこと」とは、自分だけでなく、互いの信頼があって成り立っていることなのかもしれない。
おとんにスケッチブックをプレゼントしてくれたおかんは、おとんが絵を描くことが好きと認めてくれていたからに違いない。
端から見ればどうでもいいキキちゃんの絵も、大事に一時保管してくれていたのだと今になって思う。
ささいなケンカをしながらも、一緒に買い物に出かける老夫婦のように、歳を重ねていきたいと思った。
そうそう、私たちも既に老夫婦なのだが…
少し落ち着いて行動するよう心掛けたいものです。
さぁ~
明日からは笑顔全開でがんばります