『戦う司書』 | リュウセイグン

リュウセイグン

なんか色々趣味について書いています。

長文多し。

戦う狂気と愛の記憶





戦う司書と世界の力 BOOK10 (集英社スーパーダッシュ文庫 や 1-10)/山形 石雄
¥650
Amazon.co.jp

そんなに具体的なネタバレはしないよ!
シリーズ全体の評価と印象を書いていきます。


今、アニメが静かなブーム(?)になっている「戦う司書」シリーズの最終巻が漸く出ました。
僕は前巻の「絶望の魔王」から購入を控えていて、最終巻が出たら一緒に読もうと考えていたのです。


そのやり方は間違ってなかった。


あんなんで「続きは次号!」とかされたらマジで生殺しだわ。
まぁその代わり最終巻の表紙あらすじで思いっ切りネタバレされたけどね。

みんなは見るなよ……いいか、絶対見るなよ!

それを補ってあまりある超展開なのでネタバレしても充分楽しめましたが。


正直に申し上げると、このシリーズ5巻ぐらい(ヴォルケンの話)まであんま好きじゃなかったんだよね。
一巻の『恋する爆弾』はプロットの妙があったけれども、それ以降はそこまで凄い! と感じるほどでもなかった。
ただ読み続けられたのは特異な世界観とそれを用いる巧さがあったからだと思う。
しかしながら5巻で「おっ」と思い、6巻では本気で唸らされ、本当の意味でこのシリーズを認める契機になった気がする。
そして最終章の始まる8巻『終章の獣』でビックリ、一筋縄ではいかないと思っていたが、それを更に上回る奇怪な世界観。
そして今回読んだ9巻10巻はまた更に予想以上の展開の連続で、しかも相当に感動的だった。


山形さん……俺はあんたを見くびってたよ!!
マジで済まねぇ!!!



と、頭を地にこすりつけたくなる思いでした。
正直ライトノベルをそれなりに読みながらも、本当に気に入った作家は冲方丁、桜坂洋など片手で足りるくらいだった。しかし山形石雄もその狭き門をくぐった一人になった、そう確信出来る。

この人の凄いところは、発想が尋常じゃないのがまず一つ。
人が死んで本になる、という世界観からして既に奇妙なことこの上ないが、それを取り巻く世界と人間の残酷さ、歪さも普通ではない。世界全体が通底して全体的に狂気を纏っているのが、この作品の特徴だ。
主人公格のハミュッツ自身がもう人格破綻のキ○ガイなのだが、実はこれにもちゃんと設定や理由がある!
その奇想、その異常、読んでひっくり返ったぞ僕は。


そして本やらそれを取り巻く設定を最大限に生かして物語を作ろうとする姿勢がまた好感触。
それを利用してプロットを組むから、意外性にも事欠かない。
ぶっちゃけ後付け設定だろうと思われるものも結構あるのだが、殆ど全て物語に組み込まれているので全然違和感が無く、むしろすんなりと繋がっている。この辺り、藤田和日郎みたいだな。

しかしそういった全てより僕が好きなのは「人の気持ち」をとても大切にするところだ。
彼らを取り巻く世界は残酷で、強大だが、その残酷さを打ち破るのは常に「人の真摯な気持ち」だったりする。
そこがカッコいい。こういう話ではついつい単なる残酷物になったりしてしまう、でもそこには落ちない。
最終巻まで読んだ立場として言い切るが、『戦う司書』シリーズのテーマは何かと問われれば僕はこういうだろう。





だと。
なるほど陳腐な言葉であり、陳腐なテーマだ。
しかし物語で重要なのはシニフィアン以上にシニフィエ、僕はそう思っている。
この物語での「愛」の内実を観る時に、一抹の悲しさと共に誇らしさを感じる。
戦う司書では、常に誰かが誰かを想う事が話の中核として存在し、それは必ずしも綺麗な終わり方とは限らないが、最悪の悲劇を打ち払い続けている


この辺り、鬼頭模宏『ぼくらの』とか、この『戦う司書』シリーズを大プッシュしている荒木飛呂彦先生の作品にも通じるところがある。


そして最後には全ての要素が一つの糸として紡がれるのだ。

この組み合わせ方、最高!

俺の好きな物語ってなんでみんなこうなるかな、という自虐めいた気持ちがある一方で、物語ってこうでなくちゃイカンよな、とも想う。
『黄昏色の詠使い』も好きだったし似たような展開だったけど、二重三重に捻って、更に基本を残酷世界にした為により一層凄い物として昇華されてる。
段々と面白くなっていく作品だし、様々な要素が密接に絡まり合っているので読むとしたら全巻読まないと意味がない。

と言う訳で、是非とも読んでみよう!

ちなみにアニメはかなり良く出来ているけれども明らかに足りないであろう尺が心配です。