『イングロリアス・バスターズ』 | リュウセイグン

リュウセイグン

なんか色々趣味について書いています。

長文多し。

帰ってこないナチ





帰ってきたナチ―紀州犬 愛の物語 (学研の新・創作シリーズ)/水上 美佐雄
¥1,050
Amazon.co.jp





僕は、実のところそこまでタランティーノ(以下QT)に入れ込んでいる訳じゃない。
尊敬する部分は多々在れども、今ひとつ付いて行きにくい部分もあるからだ。
僕がまだそこまで映画ヲタじゃないせいもあるだろうが、冗長に思えてしまう所も結構多い
確かに会話やら何やらは面白いけど、それが流れとして何か関わってくるの? という気持ちにさせられたり。

しかし、『イングロリアス・バスターズ』はそういった印象をかなり変えさせてくれる傑作だった。

本作はマカロニ戦争映画を元としているようで、バイオレンス描写も派手で面白い。
けれども僕が一番この映画で魅力的に感じたのは「会話劇」という部分においてだった。

この映画、兎に角会話が長い。
たしかに今までのQT映画でも会話シーンというのは沢山ある。
しかしそれが本筋に続くかというと、必ずしもそうではない。
というか本筋自体がとっちらかったり収束したりの繰り返し(それが魅力なんだけど)だから会話=ドラマとは言えないのだ。

『イングロリアス・バスターズ』では、そういった所がかなり違っていたように思える。

この映画、殆ど会話しかしていない。
しかもその中での動きはかなり少ない。
座って話している、それだけの状態ばっかりだ。

ところが、その殆どが日常会話に見せ掛けた腹のさぐり合いなのだ。
上記のQT映画みたいに、ネタのような会話劇が繰り広げられる場合もある。
しかしそれも含めて交流に見せ掛けた化かし合い、というのがこの映画の基本フォーマットで、それが決壊した時にバイオレンスが炸裂する、という構成が大部分を占めている。

『レザ・ボア・ドッグス』も類似の映画ではあるが、あれは「回想」のが会話よりも比重が大きいと思うので、やはり違っていると考える。

この映画の中核は会話だ。
だから普通の会話の緊張感がハンパない。

こいつは○○に気付いているのか? それとも何も思わずに語っているのか?

もし気付いていたとしても、それをすぐには表明しない。

様々な話題の中で一つ一つ、推理を組み立てて、相手を追い詰めていく。
または逆に少しづつ話を核心から逸らしていく。
失敗すれば即暴発。


銃を持ったまま対局する人達のチェスを観ているようなものだ。

特にメインの悪役である“ユダヤハンター”ことハンス・ランダ大佐の会話シーンは秀逸。

彼は自身を『探偵』と称するが、行為の結果を考慮しなければ、彼はまさに探偵と言うに相応しい。
慇懃で、四ヶ国語を操り、推理力も観察力もあって話の組み立ても、交渉としての圧力のかけ方絶妙。

しかも終盤のあくどさと来たらゲシュタポも裸足で逃げ出すレベルで、今後の映画悪役ランキングで常連になること請け合いだ。

また理知的なハンスに対抗するのがバカの塊みたいな「イングロリアス・バスターズ」であり、決着の付け方も両者の違いが存分に出ていた。

またこの世界はあくまで「QTワールド」である。
だから最後は……お楽しみにと言ったところ。

QT映画はオモチャ箱だ、と町山さんも語っているが、今まではそれらが雑然と混在していたような感覚が強かったようにも思える(これは僕が映画者としてのレベルが低いせいかもしれない)

けれども『イングロリアス・バスターズ』はそこからさらに踏み込んで混在しながらも整然としているような印象を受けた。
だから、現時点で僕が観たQT映画の中で一番押したい作品になったと思う。
とはいえ『グラインドハウス』とかもまだ観ていないし『ジャッキー・ブラウン』も厨房の頃に挫折してしまったので、そこら辺から押さえていけばまた違いはあるかもしれない。『キルビル』も2は観てないしなぁ。

でも、取り敢えずは僕の中で

「QT映画と言えば『イングロリアス・バスターズ』!」


にしておきたい。
それくらい楽しく、そしてドキドキする映画だった。