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「それで……その人との逢瀬はそれきりだったの?」
冷然と、戦場ヶ原が尋ねてくる。
この選択肢を間違えたら、多分死ぬな、僕は。
だが心配はない。事実を語れば良いだけだ。
「それっきりだよ、ほら、アレだ袖……袖、何だっけ」
僕も老化が進んでいるのかもしれない。
「袖摺り合うも胡椒の縁?」
はっくしょん。
正解は他生。でも面倒だから肯定しておこう。
「あぁ、そんな感じだ。」
「ふ~ん。ま、信じてあげるわ」
どことなく引っ掛かる言い方ではあるものの、何とか生存ルートに突入したようだ。
――実を言うと、完全な意味ではそれきりではない。かと言って戦場ヶ原に隠したとか、うそを言った訳でもない。
初めて逢った時から二年。僕が高一の秋頃。今度は彼岸だからと妹たちと墓掃除に行かされた時に、やはり彼女の姿を目にしている。その時も、やはり泣いているように見えた。
でも、見かけただけだ。声を掛けようかという考えが一瞬脳裏によぎったが、二年も前に一度あっただけのガキを覚えていてくれるとはとても思えなかった。それに、妹たちも五月蝿かったので、そそくさと引き上げてしまったのだ。だから結局何も起こらずじまい。
本当に。
それだけだ。
逢瀬でも何でもないのだから、わざわざ報告するほどの話ではないし、やましいところも存在しない。
「阿良々木君」
「ん?」
まだ何かあるんだろうか。
「私達、短い付き合いではあるけど貴方の性格、それなりに分かっているつもりよ。でも、自分が貧乏くじを引けばそれで万事解決……なんて考えを、あまり持たないでね」
「どういうことだ?」
「そのままの意味よ。貴方をいたぶるのは、私にとって至上の楽しみだけど、貴方が苦しんで傷を負うのはいい気分ではないの。いつでも他人を救おうとする阿良々木君に惹かれたのは自覚してるわ。でも、いつもそれが思い通りの結末を迎えるなんて考えない方がいいと思うの。だから、だから私は…………」
おぉ、冒頭部分が若干引っ掛かるが、あの戦場ヶ原が僕を心配してくれている!
これはちょっとした感激だった。付き合っているとは言え、殆どそういった素振りを見せない戦場ヶ原から、明言されると感慨もひとしおというか……
「だから私は、阿良々木君があの女に鞍替えしたら阿良々木君を殺害して、あの女はディスポーサーで処分。そして私は阿良々木君の遺体と共に阿良々木家の墓の下で一緒に眠るわ」
「なんでそうなる!」
今、ちょっといい雰囲気だったよね?
「貴方は優しいけどそれが心配なの……」みたいな、ややしっとりした場面だったよね?
戦場ヶ原、お前が絡むとどうして血風が吹き荒れるような昼ドラ展開に突入するんだ!
それとも伊右衛門か? 『嗤う伊右衛門』が好きなのか?
「強いて言えば業……かしらね」
「そんなに深いの!? 趣味とかじゃなくて!」
「あら、もちろん、阿良々木君の業よ?」
「前世からの定め!?」
「兎に角、気を付けてね。恋人からの忠告は聞いておくものよ」
恋人というか変人なんじゃないかという気もしたが、彼女の気持ちは受け取っておこう。
重いけど。
ともあれ、戦場ヶ原は帰っていった。何でも「忙しい」んだそうだ。僕を付け回した挙げ句にあれだけ話し込んで忙しいも何もないもんだが、まぁそれはいつものことだから追求するまでもあるまい。
それに、或いは、最後の一言を言いたくてタイミングを計っていたのかもしない。
神原の件では結局迷惑かけちまったからな……。それを気にしていたのかも。
ある程度、僕の事を気にしてくれているんだろうか、もしそうなら嬉しくもあるんだけど……あいつがそこまで殊勝な奴かどうかは未だ図りかねている。
あいつの場合、殊勝と言うより死傷だからなぁ、結果的に。
「あの……カワハギ君、かしら?」
魚?
生憎とその名前には何一つ心当たりが無かったが、その声には聞き覚えがあった。
「出雲……さん?」
後ろを振り返ると、案の定、そこには瀬古口出雲が立っていた。
四年前と、まるで変わっていない。ただ一つ、小さく見えるのは逆に僕が成長したからだろう。
黒い着物も、やや充血してしまっている目も。そして、可憐さも。
その時点で僕等の間に存在していた歳月は消滅し、あの夏の続きが、そのまま流れているかのような錯覚に襲われた。
「覚えててくれたんだね~、すっかり大きくなって……」
「はぁ、どうも」
やっぱり口が上手く動かなくなる。他の人間と話してる時は、こんな事にはならないのに。
「ずっと、ここに来ればまた会えるんじゃないかと思っていたの。嬉しいわぁ」
と、また微笑もうとしたらしい彼女の目から、一筋、雫が流れ落ちた。
「あ……」
大人の男だったら、もっと何か気の利いた事を言ったり、慰めてあげられるのかも知れない。でも、高三になった僕は中二の頃と何も変わらないガキで、ただ気まずい空気に戸惑うばかりだった。
「ごめんなさい、いきなり。でも……でも、私」
そういって、出雲さんは僕の胸に寄りかかって顔を埋め、背中に手を回してきた。
高い体温がこちらへと伝わってくる。
いや、僕自身の熱か。
脈拍が上がる。多分、血圧も急上昇だ。
しかし、次の一言で、頭に昇ってきた血液も一気に降下した。
「実は……主人が、また、死んだの」
「…………」
言われた意味を理解しかねた。
また、死ぬ?
「蜘蛛が、蜘蛛が……」
やや冷静さを欠く出雲さんの言葉は、普通ならば、昔の僕だったならば、単なる錯乱の産物としか捉えられないだろう。しかし中二の僕と高三の僕がほぼ唯一にして、決定的に違っている部分が、それを聞き逃さなかった。
「蜘蛛が殺したのよ……」
蜘蛛。
それは、僕が春休み以来遭遇し続けている、様々な現象と似た匂いを孕んでいたのだった。