アンパンマンとダークナイト | リュウセイグン

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いーじすさんから
アンパンマンはダークナイトだ
というエントリを教えて頂いたので俺も考察。
アンパンマンは詳しくないが、まぁ何とかやってみる。



なかなか面白い考察なんで、同一性だけではなくて違いを求めていくのもいいなぁと。
まぁ、違ってて当たり前なんですけどね(笑)
まず、バイキンマンとジョーカーの違い。
それは明確な目的が存在するか否か。

ジョーカーは、目的がよく分からないキャラとして描かれている。勿論探っていけば垣間見えてくるのだが、自称・映画評論家が「ただのキチ○イにしか思えなかった」とか結んじゃうくらいだ。
彼は「形にできる目的」を基本的に持たない。
常に目指すものは人間の倫理や精神に対して。
秩序を混沌たらしめるのが、彼の目指すものだ。

一方バイキンマンはどうか。
孫引きになるが、バイキンマンは王国を作る事が目的とされているらしい。
とてもそうとは思えない行動も多いんだが、建国が目標って事は支配か、もしくは既存の生命体を駆逐して一から創り上げるかのどちらかだ。

エントリでは、やなせたかしの発言も含めてバイキンマンとアンパンマンの関係が持ちつ持たれつであるとしているが、少なくとも設定として「形にできる目的」が存在する時点で、それはややメタ的な解釈を含んでしまう。
だから設定段階から考えてみるに、バイキンマンの作戦がアレなのは詰めが甘いから……という部分に集約されるだろう。
しかしながら、アンパンマンと闘っている内に、それ自体が目的化してしまっているという可能性も高い。



一方、アンパンマンとバットマンの差異。
バットマンがジョーカーを殺さないのは、それが自らに課したルールだからだ。
彼は『バットマンビギンズ』で、犯罪者に両親を殺される。その反動として世界中を旅し、チベット辺りで忍者みたいな修行をする。だが最終試験で罪人を殺せと言われて拒否する。
彼にとっては犯罪者を痛めつける事は是でも、殺人は非であり、両親を殺した犯罪者との分水嶺なのだ。
だからジョーカーはその倫理観を狙う。
ビギンズでは見過ごす事で相手を死に至らしめたが、今回バットマンがジョーカーを死ぬのを見過ごさなかったのは、自ら直接落下させた状況もあるが、ジョーカーがバットマンに自分を殺させるのが一つの狙いだったからだ。
あそこでジョーカーを殺してしまっては思う壷、バットマンの負けとなる。

善と悪は持ちつ持たれつ。
それは確かなのだが物語中では観念論に過ぎず、両者の思想や理念や目的が絡み合った結果互いを滅ぼすような状況もできるし、そうでない状況も出来上がる……という訳だ。

では、アンパンマンは何故バイキンマンを滅ぼさないのか?

エントリでは「アンパンマンは優しいから」と、やなせの善悪の相対論を挙げている。
優しい、と言うだけでは少し理解に難しいし、やなせの論調はやはりメタ視点である。

物語中の内実を鑑みるに、アンパンマンがより純粋な正義や愛の観念を持っているからじゃないだろうか。
バイキンマンは確かに不義を行う。しかし彼によって死に至らしめられた者は恐らく居ない。
よしんば居たとしても、正義を名乗る側には常に二律背反が付きまとう。

「悪を滅ぼす暴力は善なのか?」

暴力は人を困らせる為、悪である。
しかし何某かの理由があるならば?
相手が他人に暴力を振るっているならば?

アンパンマンはこの部分においては、バイキンマンの「行為」に制裁を加える事にしているのだと考えられる。
罪を憎んで人を憎まず、というがバイキンマンが他人に迷惑を掛けるのは罰する。
それが正義の務めだ。
しかしバイキンマン自身を滅ぼすとなると、バイキンマンの罪とその罰の天秤が非常に難しくなってくる。
それは善なのか。

善かもしれない。
だが善ではないかもしれない。

当然、こういった疑念が浮かんでくる。

よってアンパンマンは、バイキンマンの迷惑を掛ける元凶のアイテムなどを破壊し最小限の罰を与えるに止めているのではないだろうか。
アンパンマンも本来的には自警団員のはずだが、これは司法の精神にも繋がってくる。
よってアンパンマンはバイキンマンを倒さないのではなく、善たる為に倒せないのではないだろうか。
またアンパンマンのテーマによれば愛と勇気だけが友達であって、そこに正義はない。
『ヴィンランド・サガ』では愛について「その本質は死によって完成される」といい、何物にも平等に、自らの肉体を分け与え朽ちていくのに一言の文句も言わないものとしている。
そこまで極端ではないが、アンパンマンもまた自らの肉体を他者に渡す者であり、それはまたキリスト的であるとも言えるかもしれない。その愛の精神からするならば、またバイキンマンもそれ自体が憎むべき存在ではなく、他者を困らせるような行為さえしなければ何もしない……というのがアンパンマンの愛なのではないか。
案外、バイキンマンが下心もなく普通に子供と遊んでいたら笑って通り過ぎたりするかもしれない。


で、もう一つバットマンとアンパンマンの違いであるがバットマンはブルース・ウェインがマスクを被っただけの存在であり彼は別に存在しなくてもいい。
彼自身が犯罪が蔓延るのを嫌っているだけであり、実際デントが出現した時には引退する旨を語っている。
レイチェルは手紙に「辞められるとは思えない」と書いたが、それはあくまでウェインの精神上の問題であり、マスクを被らなければ彼はバットマンでは無いのである。
バットマンは肉体的にも特殊能力を持たないという点において、他のヒーローとも異質な存在であるが、スーパーマンでもスパイダーマンでも、基本的にヒーロー活動をしない時は一般人になりすまして居る。制御出来なかったりバレそうになる時もあるが、彼らには大抵「普通の人として生きる環境」が存在する。

しかしアンパンマンは、その存在が「アンパンマンなるもの」としか言いようがない。
「普通の人々」としては暮らせない。
カレーパンマンや食パンマンなどの類似の仲間はいるが、オリジナルは彼だけだ。
そしてバイキンマンが居ようが居まいが「アンパンマン」として生きていかなければならない。

しかし、この為にバイキンマンを生かしている……となると利己的な存在となり、正義の味方という部分にも疑念が沸く。従ってアンパンマンはバイキンマンが居なくても街をパトロールし、不義を取り締まるだろう。
迷惑がられて追放されても、少し寂しそうに去り、隠棲するだろう。
もしくは、「デビルマン」のように「アンパンマン狩り」が始まったとしたら悲しい顔をしながらも甘んじてそれを受け、火に焼かれるだろう。

アンパンマンは生来のヒーローであり、それが彼の「愛と勇気」でもあるからだ。