エンドレスエイト再考~物語に於けるループ~ | リュウセイグン

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長文多し。

もしも……もしも人生がもう一度あれば、全てにやり直しが出来れば

人はその言葉を、幾度と無く思い描くと共に、自分の行いを悔やみ、歎く

だが、甲児は、兜甲児は違う!


兜甲児は悔やまない!!


「そうだ……俺は迷わない!!!」


たとえ人生が何度やり直せるとしても、彼は間違いなく同じ道を歩む事を、恐れはしない!!






取り敢えず、もう見ていませんがエンドレスエイトが終わったのでそろそろ総括的な何かを書きたいなと思ってやりました。

基本的にはエンドレスエイトそのものではなく、ループ物の概観みたいな形になるでしょうか。
しかしながら、まず最初に触れてはおかなけりゃなりません。

BULE ON BULE「エンドレスエイトにおけるループ描写の特異性」

あららニッキ「エンドレスエイト考察」


ここら辺の方が非常にしっかりとした形で意見をされていますので、大体自分の考えもこの二つに集約されると言っても過言ではありません。
それに畢竟「エンドレスエイト」論は作品論ではなくて、作家論(製作者論)になってしまうなぁ……と考えていたんです。作者の意向を読んで文句言うくらいの話になってしまう。

一つだけ言うとすれば「あららニッキ」の方が書いてる事にも通じるんだけど、エンドレスエイトを擁護される方の中には、

京アニ様がアニヲタの目を覚まそうとして下さってる


的な見解を持つ人も多いんですよね。
個人的に面白いってんならそれで完結すりゃいいのに、メタ説教レベルに発展させちゃう。
エンドレスエイトの社会的意義……みたいな。


ぶっちゃけ贔屓の引き倒しに見えます。
だってマトモに捉えると、

今まで萌えヲタ大量生産&釣りしてさんざん搾り取った挙げ句
上得意にお説教や強制脳トレ企むって
どんだけ傲慢なアニメ会社だよwwwww


と。

先の戦争を擁護しようとしたところ

大日本帝國は共産主義者に良いように操られ、結果滅ぼされました

という結論に達してしまった田母神論文に近い。
その気持ちは理解するけど


逆に情けないよ!!!


だって自分達が取り込んだ商売相手に上から目線で説教する会社より、
DVD水増し売りしたいだけの商魂たくましい会社って方がまだマシじゃね?


エヴァ旧劇なんかは実際そういう説教に近かったが、アレは庵野のプライベートフィルムみたいなモンだった上に、どちらかというと本人が嫌気さした結果で、しかも今になって実質的に否定したような形になってるからなぁ。

そもそもアニメだけが興味の範籌じゃない自分なんかからすると、


脳鍛えたいなんて人はアニメに手出さないっつーのwwwww


という結論に達するんだがwww
アニメに対してもフォロー入れると、普通のアニメでも見方や考え方で幾らでも脳の鍛えようはある。
下らない作品だって、反面教師的に引き出せるモンはある。

これに関してはコンテンツの問題じゃなくて、観てる人の問題(こういう言い方するとキリがないけど)
確かにエンドレスエイトは「何考えてるんだ?」と言いたくなる作品群ではあるんですが。


本人が望んでもいないのにメタ説教とか脳トレとか考えたならば


そりゃホントに洗脳だよ


作品テーマとして何かを表現して、それを視聴者の身に当てさせて色々考えさせるってのとは明らかに違うもんね。これが本当ならマジで幸福実現党並の発想
京アニ信者、という揶揄はよく耳にするが、そのまんまの意味にしちゃ色々とマズいとおもうんだが。


アニメなんてくだらなくて良いんだよ、下らなくて楽しいものを真剣に作って真剣に観るのが素晴らしいンだから。
脳トレさせたかったらDSのアレでもやらせろ、説教したかったら啓発書でも書け。

……でも、コレって実際の京アニの意図というわけではなく

エンドレスエイトに深い意味を見出したい人の考え出した京アニの意図でしかない。
そう解釈が出来る、というレベルであって公式見解という後ろ盾もない。常識的に考えてそんな公式見解出せる訳もないし。スタッフコメントは言葉を濁すような微妙な感じだった。


そしてエンドレスエイトを批判してた人を批判する、っつーバイアス掛かってるっぽい見解なんで全然当てにならないんだよね。



結局は五里霧中にならざるを得ない。
批判するにせよ肯定するにせよ、京アニの意図が中心になっちゃうからどうも物語世界としてのとらえ方をする事が難しい。


とまぁ……そんなこんなで、しばらく書く気も起こらなくなってしまったんですね。





けど、今は自分なりにループ物として消化出来そうなのでちと書いてみようかな、と思った訳であります。


で、も一つその前に……一般的なエンドレスエイト解釈からすると僕は違う見解を持っている部分もあります
主に長門さんのところですね。
あんだけ繰り返したという物語的な意味合いとして「長門さんの心情を表現する為」という話があります。
実際、物語中では他の登場人物の記憶がほぼリセットされてしまう為に、物語としての積み重ねが出来るのは彼女だけなんですよね。
そしてこのエンドレスエイト経験が、後の作品に繋がっていくと言われています。
これも、まぁむべなるかなと。
アニメでも多少はそれを意図しているでしょうし、原作も恐らくはそういう部分を含んでいます。

しかし

僕はちょっと違うかな、とも思うんです。
長門の性質的に。
まず一つ、
長門は時間同異体(字おk?)の情報を得る事が出来ます
『笹の葉ラプソディ』でやってた奴ですね。
一応許可が必要っぽいのですが、苦も無くやっているし許可の基準も判然としません。
つまり、コレが自由に出来ると仮定する限り、長門にとって時間はあまり意味を為さない

彼女にとって一回目のループと一万五千回目のループ、脱出時のループとそれ以後含めてすべて同じなんです。逆に言えば、ループから脱出した状態でも、ループから脱出していないのと同じ状況を体験する事も出来るはずです。体験とは、情報の集積ですから。

ループ部分の情報は膨大になりますが、それだけと言えばそれだけとも考えられる。

僕たちがループされて嫌がるのは、あくまで未来の情報を共有する事も出来ない、現在しか体験出来ない普通の人間だからなんです。

長門は設定的に、そういう感覚からは離れていないとやや不自然な存在の筈なんですね。

もう一つ。エンドレスエイトの体験は『涼宮ハルヒの××』に関係してくると言われています。
そしてこの時、長門は特殊な状態にあるのですが、エンドレスエイトが一つの原因じゃないかと言われている。

しかし僕が違うんじゃないのかなぁと思うのは、長門が特殊な状態になっているのは基本的に自分の為じゃなくて○○○の為のはずなんです。

だからこそ、この話は長門にとっても良い話になっている。
そして、このエピソードの後、長門には大きな変化が訪れます。
この部分の変化はエンドレスエイトとの兼ね合いからだと考えると、やや奇妙なんですね。
エンドレスエイトが切っ掛けで長門が行動を起こしたと考えた場合、『××』終了後に変わる必要がない……そう考えています。


前置きが長くなりましたが、エンドレスエイトに於ける長門論は↑こんな感じでした。


さて、本題のループ論だ。
物語に於けるループですね。
私もあんまりループSF読んでいないので分かり易いところを例として挙げさせて貰います。

『エンドレスエイト』
『ビューティフル・ドリーマー(BD)』
『時をかける少女(細田守)』
『ひぐらしのなく頃に』
『バタフライ・エフェクト(映画)』

こんなところか。
……薄っ!!!
と言う感じで大変申し訳ありませんが、今ざっと思い付いた物がコレくらいです……。
『ALL YOU NEED IS KILL』も入れたいけど、分類が難しいから保留www
ちゃんとやれば分けられるとは思うんだけど………。

で、とにかくループ物を分類してみます。

これはまず、意志的か意志的でないかが分かれます。
ループ現象に人の意志が関わっているかどうかです。
関わっていないものというのは、簡単に言えば夢落ちモノです。

何か嫌な夢を見ていて主人公の目が覚める。

起きた後に何か嫌な事がある

夢だった。目覚める。

というパターン。ある意味一番よくある手なんじゃないでしょうか。
『クレヨンしんちゃん』にもこういうエピソードがありました。
これは現象だけがあるから自己完結的ですし、延々と繰り返すんだろうね……で終わるので物語としてはそれっきり。

一方、名前を挙げた作品は全てが意志的な物です。(『ALL~』は現象を回避する為に意志という複合型になってるので難しい)

意志的なループは、また二つに分かれていて

「楽しさを終わらせたくない」

「悲劇を起こしたくない」


という意志に大別出来ます。
前者は『BD』そして『時かけ』の前半部です。
後者は残りと、『時かけ』の後半。

変わりたくない思いと、変えたい願い。
エヴァ風に言えば、ホメオスタシスとトランジスタシスでしょうか。

一見、相反するかのようなこの二つですが実は表裏一体であり、要するに同じ物事を指しています。


『理想的な環境に身を置きたい』


前者は理想的な環境が存在するので、それに身を委ね続け、後者は理想的でない状況をやり直す事で理想的な状況に持ち込もうとする。
つまりこれは、チャイルディッシュな願望であり、子供の夢。

いつまでも遊んでいたい。
嫌な事に触れたくない。


しかし僕たちは事実上、過去・現在・未来と流れていく不可逆な時間の中に身を置いています。
少なくとも、そう思える環境に居て、それが現実であり常識だと認識しています

従って、自然とそこを帰着点にするのです。

現実に帰らなければならない、という。
『ひぐらしのなく頃に』は、正直やや子供っぽく感じる部分も多いので悲劇を回避するループを肯定しているように見受けられますが、それでもループ抜けは前提・目標になっている筈です。


『時かけ』では前半部のツケが後半に廻ってきて、結局ヒロインだけで悲劇を回避出来ない
『BD』でも現実への帰還を望むあたると夢邪鬼の対立
『バタフライ・エフェクト』では主人公が自らヒロインとの出会いを潰す事で、ヒロインを幸せにする


とまぁ、ループ世界は本来的に脱却されるべき物であり、改変による幸福の希求も歪んだもの、として描かれている場合が多い。
つまりこれはループ(子供)から不可逆の時間(大人)への通過儀礼の物語として書かれているんじゃないかと。
楽しみを一過性のものとして、悲しみにも向き合う。
そうでなければならない……というのが現在の物語に於けるループ解釈の主流に思えます。


そしてそういった思想の再極端に位置するのが『スローターハウス5』『あなたの人生の物語』辺りなんじゃないかと。この二つの作品では、主人公が時間を超越し、先に起こる悲劇を覚知しつつも全肯定していて何かを変えようとは一切しません(そこがまた面白いのですが)
これは過去や未来に抵抗を示すループものとは好対照なのではないでしょうか。


こんな風に考えると、アニメのエンドレスエイトはループ(子供の快楽原則)に対して物凄く肯定的だったという意味で、革新めいた作品と言えるのかもしれません。


一方、原作の場合は物語として子供と大人の通過儀礼として読めます
ただ、やはり谷川流らしいというのか、やや捻ってあるような部分もあるんですね。

ループを脱出する契機は、キョンの宿題でした。

今まで果たしていなかった義務を果たす、という意味でキョンが子供→大人になったと言える。

しかしながら、ループを起こした張本人であるハルヒはキョンの心残りを解消したい、もしくはみんなでわいわい宿題をやってみたいというような気持ちがあり、これは子供っぽい願望と言えます。

キョンの視点で言えば、宿題完成してループ脱却するのは通過儀礼なんですが、ハルヒ視点だと通過儀礼どころか快楽原則に忠実な結果でしかない

シリーズが続く以上、こんな短編で完全に通過儀礼終わらせられる訳もないのですが、この辺りの皮肉さがハルヒシリーズの面白さなのかも。


個人的にアニメは『消失』やらないなら観ないぜってレベルになっていますが、せめて小説くらいは完結して欲しいモンです。
まぁこれもまた、子供っぽい願望なのかもしれませんけど。



追記
今気付いたが、主人公がループ主体か否かで分かれる部分もあります。