死は死者よりも、生者にとって重要なもの
次回予告で登場人物死亡という、カブトボーグでもやらなかったような展開なんですが
エリンだと真面目に見える、ふしぎ!
しかし先週は完全に死亡フラグだったから仕方あるまい。
夢の中で「おとうさん」と呼んでしまった以上は、実際の再会をすると関係性に齟齬が出てきますからね。
ジョウン回というよりも、残された人、特にエサル回だと言っても過言じゃないでしょう。
悲しみは消えないから こっそり 楽しい思い出に混ぜよう
EDの歌詞ですが、今回のテーマはまさにこれだと。
身近な人の死はそうそう簡単に解消出来る物ではありません。
優秀なドラマ性を持つ作品でも、概して人の死を一気に吹っ切ってしまったりします。
これは抑圧からの脱却という意味において、物語では死そのものと対極に位置する部分で、やはり非常に強いカタルシスを与える事が出来ます、従って一気にやってしまう方が「面白い」のですね。
一番顕著な例は『天元突破グレンラガン』の11話。
しかしながら、実際の人間はそんな単純に割り切れません。
色々な思い出を辿りながら笑ったり泣いたりして、徐々に溶かしていくしかないのです。
エリンも母を亡くした後でも笑ったりはしていますが、依然として消化は出来ていない。
ジョウンの訃報を聞いた後で腕輪を握りしめるシーンがその象徴。
人の死に対して母を想起してしまうという箇所だろうと思われます。
けれどエリンと同じか、もしくはそれ以上の絆を持つエサルとの会話によって少しづつでも消化して、
悲しい思い出を楽しさに混ぜて笑えるようにする。
個々人の心としてはそれしか出来ない。
今回はそういうお話だったと思います。
エサルの複雑さがまた興味深く、相思の関係だったのではないかと思わせるような描写が多々ありました。
しかし勉強バカな二人が奥手であったことは想像に難くなく、手を繋いだかも怪しいところ。
思いはあったけど言葉には出さない。
エサルの精神性は大正野球娘どころか貞観王獣娘なみの保守層にあったんじゃないかと予想されます。
大正時代って結構開明的だしな。
そのうちジョウンは中央で、エサルは王獣保護場へ委任され、ジョウンの結婚で終了……といったところじゃないかと。
考え過ぎかも知れませんがエサルの端々にそういう部分が垣間見えたような気がして、それ自体がとても良い演出の賜物でした。
露骨すぎず分かり難すぎず、二人の関係はこんな感じだよな……というのがそのまま伝わる。
この微妙さを表現出来るスタッフにはやはり敬意を払うべきですね。