東のエデン 第11話 「さらにつづく東」 | リュウセイグン

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なんか色々趣味について書いています。

長文多し。

見込みとしては五分五分だったのですが……





やはり『東のエデン』も決して悪くはなかったんだけれども、色々と引っ掛かる終わり方をしました。
なので非常に悔しいです……なぜ悔しいのかは次の記事にて。

もちろん『東のエデン』も、劇場版が控えているのですからそちらで色々と回収をする所もあるでしょう。
しかしながら、TV版にて重ねてきた話数という物を殆ど生かせていない

それが一番悲しい部分でした。

二万人ニートはアイディアを出すに留まり、それぞれが協力してなにかをした訳でもありません
また、エデンシステムも単なる掲示板としての役割しか果たしていませんでした。
画像認識システムこそがキモなんだから、それを利用した解決方法を考えてくれ……と脚本家や監督には言いたくなります。

滝沢君の記憶云々については、これまで考察してきた可能性が高いと思っています。
ただここへ来て多少前向きな意味合いを含んでいたのかとも察せられますが、これはまだ考える余地があるかもしれません。
謎の未回収はまだ良いのですよ。
やはりドラマとしての盛り上げ方、話の構成の仕方、ガジェットの使い方として「今までやって来た事はなんだったんだ」というレベルに留まってしまいました。

そこが物凄く不満。

BASARAもそうですが、基本的に必ずしも収束出来ないレベルでは無かったと思います。
しかしそれをしなかったのは偏に「後があるから」。
商売を続ける為に一個の作品としてのクオリティを下げてしまった。
もちろん商品として利用されるのがコンテンツの宿命。

そんな事は解っています。

しかし、そんな中で商品としても作品としても両立出来る素晴らしさを持った物が出てくるからこそ僕は価値があると感じるのです。
『東のエデン』にしろ『戦国BASARA』にしろ、その可能性を充分に内包していたにも関わらず、結果として放擲してしまった。それこそが一番悲しい事態だと思っています。

もちろん、今までの面白さ、作品としての魅力を否定するつもりはありません。
また、最終回もところどころの部分は面白さを感じさせてくれました。
作品が好きだったからこそ、面白い物に出来る力があるスタッフだったからこそ、これだけ容赦ない言葉を発しているのです

続編あっても、もっと纏められるんじゃないですか?

と。
問題点は、クリエイターレベルではなく会社レベルにあるのではないでしょうか。
今の日本映像界の病巣(と言っても過言じゃない)を見せつけられた気がします。