『レスラー』を観る前に感じてしまった事。 | リュウセイグン

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話題にすっかり遅れてしまったけれども、プロレスラー・三沢光晴さんがリング上のトラブルで亡くなられました。


そして今上映している映画がダーレン・アロノフスキー『レスラー』だから何となく妙な繋がりを意識してしまう。

今行ってみたら、『レスラー』公式サイト にも、三沢さんの冥福を祈る……と書かれている。
まだ観てはいないけど、この映画は大いに期待出来そうなので観るつもり。


ミッキー・ロークが演じるレスラー・ランディはかつて栄光を味わい、今はそれに縋っている男。
身体を蝕まれながら、栄光を取り戻す為の試合を行うというもの。


プロレスラーは敵の攻撃を受ける前提な為に、スポーツ選手のなかでも取り分け身体への影響が大きいらしい。
そんな中で、ミッキー・ロークが戦い続けるのは輝かしい過去を忘れられないから。
先に待っているのは、死。
それでも、戦いの中に祝福を見出す男……として描かれているんじゃないかと思う(これは予断ですけどね)


僕は俳優と言うよりボクシングのアレしか知らないけれど、ミックー・ローク自身も殆ど同じ境遇だった。
それを思うと、予告編を観ただけで感動してしまいそうになった。
予告詐欺では無さそうなので、きっと本編を観たら更にグッと来そうな気がする。


ただ、三沢さんの事を考えるとまた違ってきてしまう。

ランディは、恐らく輝かしい時間を得て輝かしい死(或いは、やり遂げて穏やかな死)を遂げるものと予想される。


しかし三沢さんの映像を見る限り、現実の死はそんな物じゃない。
確かに試合中は輝かしい時間もあったのかもしれない。
けれどその先……起きあがらずに救急隊員の手当を受ける姿は、ただ悲しいだけだ



性質が全く違ってしまうが、ボクサーの辻昌建選手もリング禍で亡くなった。
ボクシングはある程度相手の攻撃を避けたり防ぐ事が可能だが、ダメージを与え合う競技であるという一点に於ては変わらない。
やはり、その死もただ悲しいものだった。
輝かしくも無い、穏やかでも無い。
正直に言って興味本位で観てしまったのだが、強いて言えば悲哀を誘うような、観ていて辛くなる類だった。


死は物語に於て、最もカタルシスや感動を喚起する。
だが現実の死を想うと、これを美化して語ってしまってもいいのだろうかと少し戸惑う。


勿論、それは物語として死を描くなという事ではない。
強い情動を引き起こす事が物語の役目の一つなのだろうし、僕もそういう物を観たい。
利害が一致している以上、キャラクターの死を有益に用いるのも創作者としての技量の内だ。
そしてキャラクターが虚構であっても、観客がその死に関するドラマで感動するのも当然ではある。


しかし美しく描かれた死を以て、現実の死を覆ってしまう事だけは注意しなければならない。

1人の観客として、忘れてはいけない事実だ。