
心の準備が出来ているか、と言われればやや考え込む向きもあるのだけれど、一般的な大多数の人間と比べれば受け止める準備は出来ている方なんじゃないか……とは思う。
ただ選ばれる事はまず無いだろう。死刑に対しては消極的傾向にある人間だからだ。
現状日本の刑罰として存在するのは致し方ないが、他人を裁く際に自らそれを選択はしないだろう。
これは裁判員選別の際に問われる内容に関わる。従って思考の偏りがある私はまず選ばれない。
近年は厳罰化が進んでいるから尚更だ。
ただ、もしも選ばれた時はかなり冷静(冷酷に、と言い換えてもいい)に判断するだろう。
証拠の信憑性を吟味し、検察の主張を疑えるか否かを判断する。疑わしければ無罪、疑問の余地が無いなら有罪。
有罪の場合は過去の量刑から演繹して、情状を加味した上で決める。
検察の求刑から7~8割が相場だが、この辺りは多少厳しくしても自業自得と済ませられる。また同情すべき事例であれば、緩くしたり刑期によっては執行猶予を与えることも出来る。
この量刑の情状部分に多少市民感情が必要とされている、基本的に後はロジックで詰めていけばいい。
裁判が何かを判断出来ないと、色んな所で疑問が涌くかもしれないが、本来ロジカルであるべきものなのだ。元々決まっている刑罰に、罪を当てはめていくパズル(不謹慎な表現だが)と言えばいいか。
勢いに任せて死刑だ厳罰だとたかぶっていれば良いという訳ではない。
今までの司法と市民感情のバランス、それこそが裁判員制度に求められているのであって、何でも勝手気ままに判断するのは司法制度を破壊する危険すらある。
最近では裁判所自体が世論に流されている気もするが、世論も無責任に叫ぶのではなく司法の何たるかを弁えておくべきだ。