『ウォッチメン』~00やギアス誉めてる暇があったら、ウォッチメン観て泣きじゃくれ!~ | リュウセイグン

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長文多し。

『ウォッチメン』観て参りました。

ネタバレ含みますのでご注意を。










凄い映画だ、確かに凄い映画なんだけどちょっと語る時は歯切れの悪さが生じる。
最後の平和を達成する為の手法というのが当時は兎も角、今のアニメではままある事だからだ。

あくまで悪人側の論理としてですけどね。

また罪悪を背負い、敢えて真実を隠蔽するところなんかは『ダークナイト』にも通じる。
もちろん原作があるのでこっちのが先なんだが、実際私自身の観る順番が『ダークナイト』→『ウォッチメン』だったんだから仕方ない。

今になって『エクソシスト』観たら悪魔憑きの少女リーガンがクラウザーさんにしか見えなかったのと同じだ。

だからその衝撃ってもんが薄れてしまった感がある。
これは作品のせいではない。


また驚いた事に、最後の作戦を実行する時のやり取りが殆どカブトボーグだったから肝を潰した。


物語のパロディでありながら全てを破壊するカブトボーグの偉大さを見せつけられた思いだ。
いやマジで脚本家は本当にウォッチメンを意識していたんじゃないかと。


兎にも角にも、ウォッチメンはリアリティによる帰結から正義のヒーロー的論理としての破壊を起こす。
先述したように、これは最近のアニメ……ガンダム00のリボンズやギアスのシュナイゼルの論理とよく似ている。

しかし、対抗ヒーローの活躍によってギリギリで回避するなんて生緩いことはやらない


ホントに大破壊が起きるのだ。そして大破壊により平和が訪れる。
つまりヒーローは破壊によって人類に対し強権者=敵たることで抑止力となり、また人類間の平和を築いたという訳。重要なのは、破壊を起こしたヒーローと強権者になるヒーローは別だって事。


強権者足りうるヒーローは、恐らく自発的にであれば行動に移さなかっただろう。
複数のヒーローが混在する世界観がここで生きている。
こういった結末はよほどのリアリストやマキャベリストでなければ少々受け入れがたい。


計画を発動させたのはまさにそういう人物であったし、強権者となったのも人類的な倫理観とは懸け離れた存在だった。


現実を描いているようで、思いっ切り偏った倫理観に彩られたギアスや00はどうであったか?


ルルーシュは明日が欲しいとか言って、憎しみを集めて自殺し世界を平和にしようと考えた。
00ではスメラギがビリーに対して「そんな平和は自由がない」とのたまった。


しかしこれらの言葉、ウォッチメンの世界ではどうか?


何の役にも立たないんである。何故なら米ソの核戦争がすぐにも起きる状況だったからだ。
人間の自由意志に任せていたら明日が無かったのだ。
憎しみではなく、思想や対抗意識によって戦争は行われていたのだ。
そこでは一人の独裁者が悪い事やって殺されたから世界が平和になるなんて甘い話は通じない。だってそうだろ? ヒットラーが死んだ後の冷戦時代なんだぜ。


そんな時、綺麗事言ってられるか?



言ってられない、と思ったからこそヒーローは動いたのだ。

数百万人を犠牲にするか、世界人類を救うか



それしか無かったとしたら。ウォッチメンが問い掛けるのはまさにそこだ。

結局00もギアスも、主人公側の理屈が正しく聞こえるのは綺麗事を言って済むようなレベルの世界状況だからにすぎない。
そして00やギアスの世界観と、ウォッチメンの世界観ではどちらが現実に近かったかと言えばそりゃウォッチメンだ。


この作品は20数年前の世界情勢をほぼそのまま体現しているのだから。



もちろん、ウォッチメンでも強権者を設定するようなやり方に反発を覚えるヒーローは存在する。
しかし、この作品で真実を曝すのは世界の破滅と同義である。また、既に破壊は行われており批判したところで人命は戻らないのだ。


だからこそ、このやり方に本気で反発を表明するヒーローはパラノイアの狂人という設定になっている。彼は正義感や真実に重きを置くが、世界の破滅より正義や真実を重視して追求するような奴は狂人なんである。だからこそ魅力的でもあるんだが。


しかしギアスなどでは結局相手が間違っていて主人公達が正しい事になってしまう。
異常であるはずの戦争状況なのに、緩くて日常的な倫理観が平然とまかり通るのだ。


もちろん日常的な倫理観は大切だ。
しかしアレを作っている人達は日常的倫理観を肯定する為に物語の方向をかなり強引に恣意的な方向へ持っていく。個人の感覚による日常的倫理観を正義とする為に。


敵がやらなくてもいい残虐行為やってくれるとか、主人公もまるっきり同じ事してるけど責められない(良い事みたいに演出する)とか、結局みんな個人的感情でしか動いてないのにまるでそれが正しいかのように描かれるとか、敵対する立場であるはずの人間がいきなり仲間になってくれるとか。


物凄く都合良く事が進み、視聴者を騙そうとする努力すらしない。


だからテーマとしても突き詰めが甘く、ツッコミどころが満載になる。


ウォッチメンほどとまではいかなくても、もう少し相対的な観点やご都合主義に走らない突き詰めが出来ないもんだろうか。


まぁ……ハナッから期待はしてなかったけどさ。



最後に町山智浩さんの受け売りになってしまうが
『ウォッチメン』と現実世界の比較で興味深い部分を取り上げてみたい。


実際には強権者たるヒーローがいなくても核戦争は起こらず、世界は破滅していない。
ソビエトは崩壊し、アメリカもまたかつての覇権に翳りが指している。
現実の世界では、冷戦を牽引した二大国家は自重によって潰れて(軋んで)しまったのだ。


これは人類の賢明さ故か?

違う。

人間は、自らの体制を自重崩壊させたに過ぎない。


人類の愚かさによって世界は危機に瀕していたが、それを回避したのもまた人類の愚かさだった

 

事実は小説よりも奇なり