行った事ないけど北欧好きなので時々読んでる北欧コミックエッセイで、ソーシャルバッテリーという言葉を初めて見ました。
「楽しい、けれど疲れる」は自然なこと——北欧フィンランドで出会った"ソーシャルバッテリー"という心地よい言葉
私は2つ前のブログで書いたように子供の頃から感情的サポート娘で、機能不全な両親をなんとか取り持ち家族を維持してきて、あげくにダブルワンオペ介護を背負わされた。
兄弟はいない方がマシな暴力キチガイのみ。
だから親の世話バッテリーを酷使されてきて、もう充電してもすぐゼロになる状態になったのだ〜!
親を最期まで看取るのは当たり前、とか平然と言える人は良い親に育てられてこのバッテリーがまだ全然消耗してないんでしょうね
ソーシャルバッテリーは人と会わなければ充電出来るけど、酷使されてきた親の世話バッテリーはもう充電機能がほぼない
これが数値で測れて「あなたは親の世話をしすぎてバッテリーがなくなったので、今後は一切親の世話をしなくていいですよ
」という世の中になったらいいのに(笑)
最近は過ごしやすい気温だけど出かける気が全然起きません。
興味のある展覧会がないのもあるけど、週末気晴らしにどこか行こうかな〜?と少し情報を調べても面倒くささが勝ってやめてしまう。
父のお金の問題も含め、外界からの雑音を全部シャットアウトして家にひきこもっていたい。
二十代から四十代までいくつもの職場で働いてきたけど、真面目に働いても優しさにつけ込んで意地悪されたり雑な扱いされるばかりな人生に心がすり減って、こんな底辺の職場しか私には巡って来ないのか…と再就職の気力もなかなか湧かず、実家に戻る前からひきこもり気味ではあったんだけど。
良い職場があれば働きたい気持ちと、何もかも面倒な気持ちと、仕事中に豪雨が来たら雨漏りからの浸水で家が大変な事になるという現実と
とにかく疲れない家に住みたいわ
これもソーシャルバッテリーが切れたという事なのかな〜。
でもエッセイではパーティ等の楽しいイベントもキャンセルするって話で、私の場合楽しい場なら行きたいからちょっと違う気がする
ソーシャルとかではなく、大本のバッテリーがこの辛い人生で消耗しきっているのかも。
そばにちーちゃん
がいてくれて、静かな夜にテレビ見たりスマホゲームやったりしてるのが今は一番幸せ
