第3回目講座受講を終えて、

眞佑里さんが私たちに届けてくださる言葉に

熱い熱いエネルギーを感じました。

 

「この3ヶ月でパッカーンする!

 できてないなりにどうするか、

 やれてないなりにどうするのか

 できてないことを変える→だからこうする

 できないからこれをする」」

と教えていただく。

 

講座中に

私は、できるできないことに、こだわっているところある。

私は、人からの承認がほしいと思っている。

だから大きくみせなければ、私の欲求が満たされない。

私の枠に気づいている。

 

そう、じゃあ気づいたなら私はどう変えていくの!?

本気になってやる!よね?

と、自分に言っています。

 

そして、講座の中で私が一番ざわっとした眞佑里さんの言葉は、

「お見事、立派ですとういう褒めることは、

すごく責任のある言葉だと思ってください。」

「褒めなきゃは、せこい!」

です。

 

今まで無意識に、ほめすぎる言葉を使い、

行動していたのでは?

いやどうだろう、

講座中に、自分にそれがあることを

認めたくない私がいる。

そしていつものポーカーフェイスしているなと

気づいている。

 

でも、そんな弱い私も私だよ。

 

そういうところあるけど、

「私が持っている力、

良いエネルギーを最大限に使って

最高にできることは何?

何を周りにもたらすことができるのか。」

をしっかりと身につけていこうと思いました。

 

そう思う中、

職場で私は浅い洞察で褒めていたと

気づくことがありました。

 

職場の有料老人ホームでご入居者の食事を検食し、

委託している給食会社に、ご入居者目線の感想や○を

検食簿記入し提出する仕事中に、

 

主菜、副菜、汁物、ごはん、の感想を、

今まで、「良」「普通」「悪」のうち、

ほとんど「良」に○をしている。

そして良いところばかりを記入している。

そして本当においしいと思ったときには、

「良」に花○💮を記入していた。

 

あ!!私、

「大おみごと」を今まで書いていた!

雷に打たれた感覚がして、衝撃が走った。

 

 

 

今まで本当に私がご入居者目線で記入していたのか、

内側で感じたことをそのまま外側に表わしていたのか

適当に記入して、褒めたら給食会社はいい気持ちで

何も言ってこないし、面倒なこともない。

私は嫌われたくないと思っていたことに気づいた。

だいぶせこい。

せこすぎた。

自分にベクトルが向いているという意味がわかった。

 

でも、気づいたから軌道修正をしよう。

丁寧にご入居者目線で、私が感じたことを、記入しよう。

本当に良いと思ったら「良」でいい。

 

自分が使う言葉に、私が本当に思っていることをのせているのか。

何に貢献できるのか本気で思っているのか。

一瞬一瞬の言葉で、周りを良いエネルギーにする。

 

言葉には神が宿る。

神聖な言葉を、責任を持って大切に使う。

肝に銘じる。

 

潜在意識に気づかせていただき、

本当にありがとうございました。