そんな訳で般若心経。…でござる。
( ̄∇ ̄;)

   
もちろん、我が家は浄土真宗なの
で『般若心経』は唱えないんだが、
その哲学的な部分については共感
できると言うか、三蔵法師は寛大。

   
阿弥陀仏との間で『浄土』という
『約束の地』を与えられているか
ら『呪文』をわざわざ唱える必要
はない~という解釈なんだそうだ。

   
ま~ね、それも理解できるんだが、
心の曇った爺々からすれば、そん
なにありがたい『呪文』だったら
『是非』とか思っちゃうんだよね。

   
宗派によって解釈も違うらしいが、
それを唱えれば、その身のままで
無知の闇が除かれるってんだから
そりゃ~楽で良いわ~となるよな。

   
阿弥陀仏が、せっかく憐れみを掛
けて『救って下さる』というのに、
なんとも欲張りなんだが、そこは、
だって人間だものの一言に尽きる。

   
この世界は夢幻泡影で。…って話。
( ̄∇ ̄;)

    

 

    
万人救済説は、本当にありがたい。
( ̄∇ ̄;)

    
相も変わらず『救い』というのが
何なのかが、よく分らない爺々は、
何を以て『善人』とし、何を以て
『悪人』とするのかさえ分らない。

    
たとえば、肉を食らうと『悪人』
ならば、草を食らっても『悪人』
だろう。命を食らうことが、その
要件ならば『善人』は存在しない。

    
でも、命を食らうことを要件とは
せず『罪の意識』を持たなければ
人間は『善人』として生きられる。
人間の勝手な解釈でしかないよな。

    
一方『罪の意識』を持っちゃった
『悪人』の『死後世界』に対する
『恐怖』を和らげるのも『救い』
だと解釈するならば~どうだろう。

    
阿弥陀が『救い』を与えたいのは、
いや『悪人』こそが『救い』を必
要とする『迷える仔羊』に思える。
なんだか、プロテスタント的だね。

    
父なる阿弥陀仏に感謝。…って話。
( ̄∇ ̄;)