ゼロはゼロなんだと見抜け~でござる。
ヾ(・ω・`;)ノ
正しい筈の『本来は事実』って物事が、
『平等』だの『公正』だのの名の下に、
正しくない筈の事実でない物事と一緒
くたにされ第三者から同列に扱われる。
本来の『0対100』が、事情を無視した
裁定で『50対50』にされてしまう事が、
『平等』である筈がないし『公正』で
あるなんてチャンチャラおかしいよな。
そんな不条理が罷り通るなら『事実』
なんてのは必要もなく『虚構』ばかり
が飛び交う世の中になってしまうよね。
今の司法が、そんな感じかも知れない。
虚構に評価を与えちゃダメ。…って話。
(*´-д-)フゥ-3

悪平等の悪用は、モノに限らないのよ。
( ゚∀゚;)
例えば、報道の原則は『事実』を伝え
る事なのに、昨今のメディアときたら
『真実』を伝えるとか言い出す始末で、
何らかの判断を下してる可能性もある。
『この様な意見もある』とか『この様
な話も見聞きされる』とか、或は、評
論家や文化人やタレントといった人に
意見を述べさせる報道番組も多いよね。
そして、メディアは公正中立を掲げて
第三者を気取る。それ自体は事実かも
知れないけれど、その内容が事実とは
限らないし、呈された全てが虚構かも。
虚構に評価を与える演出か。…って話。
。゚(*ノДノ)゚。
一般的でない『マイノリティ』の論と
常識的な一般の論とを『平等』に扱う
必要性が、もとよりある筈もないのに、
権威や人気を笠に『平等感』で惑わす。
その結果、『10対90』ぐらいの取るに
足らない論との対立まで『50対50』の
どちらも正しいかの論争と評価される。
これは、false dichotomyという詭弁だ。
事情を知らない第三者は立入らないか、
積極的に事情を知ろうとすべきなのに、
世界は詭弁に満々ちている。…って話。
( ̄∇ ̄;)