まぁ 中・韓が一層、騒がしいんだが、
『米に見放された日本など恐くないやい』と
早とちりな勘違いをしているのかな?
なんだか戦争を仕掛けるような勢いですね。

さて、『自己の行いを省みること』に明け暮れて、
意外にも、その『人生を顧ること』をしなかった。
想えば、これまで何ら苦労をした覚えがないんだが、
まぁ その時々では、苦労だったのかも知れない。

記憶に残ってないのだから『大した事』ではなく、
『済んでしまえば笑い話』の類だな。(*´ω`*)
それにしても『その頃の夢』ってのがあったんだが、
どこに行っちまったのか… まったく覚えもない。

そもそも『人の夢と書いて儚いと読む』のだから
案外、大昔からそんなものなんだろう。(つд-。)
おそらく『富と名声』絡みの夢だったんだろうが、
『卑しさ満点の夢』などは叶わない方が良いのだ。

大事な人生を『富と名声の追求』に心を奪われて、
休むことなく苦労を重ねて、一生を過ごすなんて、
馬鹿げたことだし、仮にそれを手に入れたとしても
死後には、それが近縁者の『災いの根本』となる。

『パンドラの箱』を開けてしまった『人間の欲望』は、
そもそもが人類にとって『災いの根本』なのだろう。
知性も教養も功績も名声も全ては『人間の欲望』で、
あらゆるモノが、その積み重ねでしかないようだ。

言い換えれば『この世は欲望の渦』とでも言うか、
或いは『人間は欲望の渦に溺れている』と言うか…。
まぁ しかし、生き方は人それぞれで色々なので、
どれが『善』だとか『悪』だとかでもないです。

法然上人は『往生は、一定と思へば一定、
不定と思へば不定なものです』と仰ったわけで、
何を信じて生きるかが大事なのだろう。(*´-ω・)
…なので、白髪爺は、この歳になって悩んでいます。

『山の頂上』を目指して歩いていたはずなのに、
よくよく考えてみれば、山の名称も標高も道さえも
『まったく知らんかったわ』といった状態でして、
短パンTシャツにサンダルでピクニック気分だった。

たぶん普通なら途中で、死んじゃってるんだろうが、
登った山が標高3000mなんて高山ではないようで、
せいぜい標高100mなんて山だったのかも知れない。
そりゃ~苦労などないわな。…って、喜べない話だ。

何代か前の先祖に『孫兵衛』という先祖がいて、
『一生を苦労知らずで過ごしたんだ』とかで、
その後、それに肖って何人かの先祖が『孫兵衛』を
名乗ったと伝え聞いてるんだが屋号は『上屋』です。

そんなわけで、白髪爺も『我が一生に苦労なし』を
これからも深く信じて疑いません…と。(≧∇≦)