開幕後の快進撃から一転、7連敗を喫した我がベイスターズ。
そんな中、ついにあの人が1軍に帰って来ます。
♯8 多村仁志
昨シーズン、怠慢走塁と言うベテランらしからぬ理由で懲罰的に2軍落ちと報じられたりもしましたが、どうやらいつもの通りスペっていたようです。
今年のキャンプも年中行事で2軍の開幕も間に合いませんでしたが、いざ、出場し始めると格の違いを見せ付けていました。
チーム状況が良い時は声がかかりませんでしたが、こんな状況になりついに呼ばれたわけです。
そんな多村さんを知ったのは遡る事94年の夏の甲子園。
野球部の1年の夏休みの宿題として、甲子園の試合を2試合スコアブックを付ける事を命じられました。
その時に選んだのが超高校級スラッガー紀田彰一、紀田と共にハマの龍虎と呼ばれた斉藤に、本格派投手として注目を集めた矢野らタレントを擁し優勝候補に上げられていた横浜高校の試合だったのですが、その試合で紀田の後を打つ5番が多村さんとの出会いでした。
試合は敬遠含む4打席連続のフォアボールで紀田との勝負を避けた那覇商が番狂わせを演じ、横浜高校はまさかの初戦敗退。
多村さんはこの試合の最後の打者でしたね。
その年のドラフト。
中日との競合の末、ドラフト1位で紀田を獲得。3番の斉藤は巨人に。
そして、多村さんはドラフト4位で横浜に指名されました。
この時は史上初めてクリーンアップ全員がプロ入りしたとして少し話題になりましたね。
この時は正直、紀田のオマケとして指名されたのかなとも思いました。
その時の写真が週ベに掲載されたのですが、普通、この時期の野球部の髪型と言うと坊主の伸びかけのスポーツ刈りが相場だと思われるのですが、多村さんだけ非常にサラサラヘアだったのを覚えています(笑
その後、怪我もあり中々1軍に定着できませんでしたが、97年には初の開幕1軍に。
たまたま中継でプロ初ホームランを見た記憶があります。
その後も相変わらず怪我との戦いが続くも、同期の紀田が放出される中、しぶとく生き残り2003年にレギュラー定着の足掛かりにすると、翌04年には40ホームランを放ちブレイク。
第1回のWBCではチーム最多のホームランを放つなど世界一に貢献し大活躍。
この年の冬季五輪で金メダルを獲得した荒川静香と、みなさんのおかげでしたで食わず嫌いで対決するなど知名度を上げました。
しかし、度重なる故障もあり、2007年には寺原とのトレードでソフトバンクへ。
ソフトバンクでは常勝チームの一員として優勝や日本一を経験。
自身初のベストナインを獲得したりしました。
そして、2013年。
3対3のトレードで横浜に帰還。
移籍初年度の5月10日には巨人との大乱打戦に終止符を打つ、逆転サヨナラホームラン。なんだかんだ2桁ホームランを放つなど健在ぶりを見せ付けました。
昨年は前年より成績を落とすものの、故障者の代わりにスタメンで出ると活躍したりベテランの味を発揮しました。
ハマスタへ見に行った試合で多村さんのヒーローインタビューが見れたのは個人的に嬉かったですね。
オフには同じ年の親友・金城さんがFAで退団。
数少ない優勝経験者になってしまいましたが、下ではセンターで出場するなどまだまだ衰えを見せません。
チームが苦しい時期だからこそ、懸かる期待も大きいですが、多村さんならきっとやってくれると信じています。