そもそも【永遠に中学生】とは何なのか?
今のご時世、中学を出れば殆どの人は高校に進むと思いますが、それでも中には社会に出る人もいます。
職人の世界や格闘技(相撲)の世界でも中学を出てその世界に飛び込むのは珍しくはありません。
つまり、中学生と言うのはモラトリアム期間の最大公約数的な時間とも言えます。
モラトリアムは悪い意味で使われる事も多いですが、【本来は、大人になるために必要で、社会的にも認められた猶予期間を指す。】とも定義されています。
まあ、中学生が社会的に認められてるかと言われれば、保護者が必要な立場ですから厳密には違います。
しかし、中学生になれば完全に一人の人格として自立し始める時期とも言えます。
その中で親との関係がギクシャクしたりして、いわゆる反抗期と言うものが訪れます。
そんな曲がエビ中のこちら。
【大人はわかってくれない】です。
自分みたいな新参が色々と調べていると、オススメの曲としてよく話に上がっています。
思春期、反抗期に入り誰もが持つ大人への不満、葛藤などが歌われているのですが、
それでも
大人に託された夢は
私たちはちゃんと感じているの
と大人に理解を示し、最後には
だって泣きそうな顔していたら
なんだかんだ心配させるでしょ?
と大人を気遣う一面も見せています。
これを聞いた時にこの曲を思い出しました。
【尾崎豊/十七歳の地図】
尾崎のデビューアルバムのタイトル曲でデビューが決まってからプロデューサーの須藤氏のもと、新たに作った曲です。
尾崎はよく、大人に対する10代の代弁者として扱われます。
特に【15の夜】の【盗んだバイクで走り出す】や【卒業】の【夜の校舎 窓ガラス壊して回った】とかの歌詞の影響で反社会的な存在のイメージが強いです。
しかし、実際にこの曲では
口うるさい大人達のルーズな生活に縛られても
素敵な夢を忘れやしないよ
と大人への反抗心を見せつつ
電車の中 押しあう人の背中に
いくつものドラマを感じて
親の背中にひたむきさを感じて
このごろふと涙こぼした
大人への歩み寄りを見せています。
決して大人を否定する一方では無く、大人の苦労とか悩みを分かっているからこその上記の歌詞なのだと思います。
尾崎の死後もうすぐ23年が経ちますが、尾崎を知らない世代でも尾崎の歌に共感しファンになる人は結構いると思います。
実際、自分も尾崎世代ではないですからね。
尾崎が10代に残した曲と言うのは誰もが一度は通る、ある種の普遍的な感情を表したものだと思います。
そういう意味では尾崎自身が永遠のモラトリアム=永遠に中学生的な存在とも言えます。
尾崎は17歳でこの曲を作りましたが、エビ中は中学生として【大人はわかってくれない】を歌っています。
それは多分、この年代の女の子の方が精神的な成長が早いからだと思います。
(中学生男子なんてバカですからね 笑)
さて、尾崎は当時、同年代から下の熱狂的なファンが多かったと思います。
ですが、尾崎の年齢を越えたり、二十歳になってから尾崎離れてをしたみたいな話も聞きます。
一方、エビ中のファンは【父兄】と呼ばれるくらいですから、年上の方が多いと思います。
そんな中で、何故この曲が評価されるのか?
それは歌詞の中にあるこのフレーズ。
大人の過去は誰もが間違いなく子供
これに集約されます。
中学生時代なんて色々な壁にぶつかりながらも、それでも人生を悲観する事も少なく希望に満ち溢れていたと思います。
しかし、大人になるに連れ現実を知り、色々な物を捨てて行かなければなりません。
ですがこの曲には、その頃を思い出させる何かがあります。
少なくともエビ中に関わっている間は中学生の頃を思い出してある種のノスタルジーに浸れる…。
それが【永遠に中学生】なのではないでしょうか?
エビ中の【大人はわかってくれない】も後世に聞かれ続ける曲になって欲しいものです。

