こんにちは。
のっけから「訃報」てなんや??とみられますね・・・
僕は高校で鶴見区にある公立高校でラグビーと出会いました。
当時は京阪地区や城東地区では中学ラグビーが盛んな1980年代でラグビー人気も関東の「早明戦」 に代表されるように国立競技場が6万人の観衆でうまるような時代でした。
母校の高校は創設7年目で公立高校でありましたが、2期目に全国大会に出場しており大阪でも公立高校としてはスポーツ関連で才能のある生徒が集まる高校でした。
あっ(-_-;) 前置きが長くなりました・・・
みなさんには、馴染みが薄いかと思いますが東京の目黒区にある私立で「目黒高校」という全国大会優勝。準優勝を含めて計5回。元日本代表で新日鉄釜石の日本一V7の原動力となった松尾選手などを生み出した高校があります。
そちらに、「練習の鬼」・「スパルタの鬼」で名を知られた「梅木恒明監督」という方がいらっしゃりました。
夏5時・冬6時からの早朝練習。夜は車のヘッドライト(今のように夜間照明というのはないですね)でスクラム、とにかく走って、走って、走り倒す。
監督最終年の1983年には、紅白戦で年間300試合をこなし、対外試合に限っても90試合を超えたそうです。
当時の高校ラグビーは、走って走り倒して持久力を強化して才能のある選手が相手のバテた所に活路を見出すようなものでなかったのではないかと思います。 身体のサイズが大きくないチームは走力(運動量)で相手に勝る集散の早さが、いまでもそうですが勝機でした。これは、サイズが大きくなり、当たりの強さが増す大学・社会人ラグビーでも変わりません。
その梅木さんが、打撃の神様「川上哲治氏」の訃報の片隅に「鬼」の訃報として報じられていました。
ラグビー部から同校に野球部の監督に転身されましたが、ここでも常識やぶりの桁違いの練習をやると言い、「やりもせずに口だけの奴が多すぎる」と言われたそうです。男の意地を賭けたんでしょう。しかしその意地は不成立に終わりました。
僕はラグビーを通じて、色々な方と関わってくることが出来ました。
ひどい人見知りでありますし、今でも人見知りをしてしまいます(-_-;)
お客様にはそうではありません(笑) スイッチが切り替わります。。。
現代は、ラグビーの練習でも当然ではありますが、コンピュータによるデータ分析。(個人・チーム)
何を言う僕もコンピュータを使って 今この拙文を記しています。全くの私見で異論はあると思いますが、人間は人と人とのかかわりなしでは、生きていけない。もちろん一人でも生きていけないと思います。何がしらのつながりがあり、それはコンピュータを使ったインターネットであることも多いでしょう。それを通じて、30年ぶりに再会!!などということも多々あります。
しかし、媒体や道具としては便利・コンピュータさえあればどこでも仕事ができるという時代だからこそ、人と人とのつながりを大切にしていきたいと考えています。
「梅木さん」は「鬼」となることで、選手に仲間の大切さや一体感も浸透させていったのでないでしょうか?
なぜならラグビーは、前に出ても後ろに14人の信頼できる仲間がいてるからこそ前に出れるのです。
僕はこれからも人と人とのつながりを大切にして、頑張って行きたいと思います。
そして「鬼」の梅木さんのご冥福をお祈りいたします。
梅木恒明 享年79歳
