以下、2015年11月14日に書いた文章です。
完全ではないけれどこの頃より心が戻ってきている。
嬉しいも悲しいも感じるようになりました。
まだ完全なる内側には人を入れれないけど。というより、その方法がわからない。
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今を生きることと先を見て我慢することとどちらが正しいのだろう。
もし余命半年なら、私は全てを放り出してでも会いたい人がいて、きっとその人の側を片時も離れないのだと思う。
でももし余命50年だとしたら私はその人に二度と会わないつもりだし、会ってはいかんと思ってる訳です。
なんかこれっておかしな話だと思いませんか。
…というつぶやきを1年半ほど前にして、未だに全く同じことを思っています。
みんなよく、後悔しないように生きたいと言うけれど、そんなの無理じゃんと思うわけです。だって私はこのようにあとどのくらい生きるかによって正反対の行動を取るのだから。
どういうつもりで生きたらいいんですか?
でもまあ、もうその1年半ほど前に私の心は既に死んでいるのでどうしようもない。誰も心の内側に入れれない。もう誰がどうなっても私は本当の意味の嬉しいとか悲しいとかそういった感情は湧き上がらないのです。全ては心の外側で起こっていて。これって人として終わってるなあと思うわけです。
だから私は痛みを求めてるのかもしれないなあ。痛烈な、私を覚醒させてくれるような、生きていると感じられるような。
前より明るくなったねと言われるけれど、それは違う。自分の心の闇を隠すのが上手になっただけ。本質は変わっちゃいない。
死にたいと思ったことはない。消えたいと思っている。