私以外私じゃないの、と言うけれど、 | tomoko
そもそも、どこまでが私で、どこからが私ではないのだろうと、そんなことを高校生の頃くらいから時折考えておりまして脳みそが宇宙に行きます。


私の精神年齢は17歳で止まっている気がする。
17歳の時もこんなことを書いていた。



どこまでが私で、どこからが私ではないのだろう

というのは肉体的なことも精神的なことも含めてのことでして、

例えば、涙が溢れるとする。頬を伝う涙は、間違いなく私の一部分だ。しかしその涙が地面に落ちやがて水蒸気となり雨となって降ってきたとしたら、一体どこまでが私なのだろう。


例えば、誰かの思想が言葉になり、私の耳に届きやがて自分の思想になるとしたら、一体どこからが私なのだろう。

洗脳?依存?共感?
それらも完全に自己なのか。

自己と他者との境界線はどこなのか。


他人が自分の一部になることもあると私は思っている。それを依存と呼ぶのだろうか。


曖昧な中で今日も私の一部分がこの街をさまよってるんじゃないかと思ったり。





こんな話を同居人のはるかすとしていたら、
「そもそも自分の肉体が自分のものだと思うことに私は違和感がある」
と言われ、ほほう、となりました。






どこまでが私で、どこからが私ではないのだろう

皆さんはどのようにお考えでしょうか?


追記
これはもしや、

生きていることと、死んでいることはもしかしたら同じかもしれない。ということに通ずるものがあるかもしれない。





また真夜中のテンションでブログを書いてしまったので、朝見たら恥ずかしいやつだ。笑





そして恥ずかしいついでにどうしても言いたいことがある。
先日のライブで頂いた差し入れ達!

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これで、当分、糖分には困りません!!!
















どうしてもこれが言いたかったのですすみませんでした。




(差し入れ下さった方々本当にありがとうございます)








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そんな井上がお送りいたします、近々のライブでございます。

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私が美男美女に囲まれる、特に私が得するライブです!( ̄▽ ̄)
素晴らしいプレイヤーの方々で、目も耳も癒されるのではないでしょうか。
ぜひぜひお越しください♪



Tomoko Inoue
井上朋子