その洗礼が受けれますように | tomoko
心屋仁之助さんの言葉
腑に落ちた。
備忘録として。



アマチュアが、プロになる「瞬間」がある。

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どんなに売れていても
どんなにうまくても
どんなに人気があっても

アマチュアは、アマチュア。

どんなに売れてなくても
どんなにへたくそに見えても
どんなに人気がいまいちでも

プロ、はプロ。

前から不思議だった。

プロの歌手と、アマチュアの歌手
プロのミュージシャンと、アマチュアのミュージシャン、

プロの歌手と、アマチュアのうまい人
プロのミュージシャンと、アマチュアのうまい人

なにが、違うんだろう?と。

最近分かったこと。
それは、

その間には
「見えない壁」が「明確に」ある。

ということ。

いくらうまくても
アマチュアのまま、
プロにはなれないということだ。

プロには、
プロにしかわからない「流儀」があり
プロだけが知る「やり方」がある。

その「世界」がある、ということ。

アマチュアが、プロになる時には
この「洗礼」を受ける。

ある意味、
これまでのすべてを
覆されるという洗礼。

受けなければ
入れないのだ。

「アマチュアだから許されたこと」が
沢山あるのだと気づくのです。

そして

その「洗礼」を受け入れた人だけが
「プロの世界」に足を踏み入れることが許されるのだ、と。

いっけん、無いように見える
アマチュアと、プロの「差」「壁」が
そこには歴然として、あった。

これは、努力やがんばりで何とかなるものではなく
「流れ」に乗ることでしか乗り越えられない。

「流れ」という通行手形を
手に入れるしかないのです。

それが「プロ」という「選ばれた世界」であり
プロだけが持つ「グルーヴ」なのだと思うのです。

決して「お金をもらう=プロ」ではないということ。
決して「うまい=プロになれる」ではないということ。

きっと、どの世界でも同じだと思う。

だから、プロは
プロとして生きて行くのだ。