💚1936年、コロムビアレコードの専属作曲家となった服部良一は、淡谷のり子と出会い、初めは渋った淡谷のり子を説得し「おしゃれ娘」をリリース。(「おしゃれ娘」の曲は、12/13「服部良一を知る⑤に載せております) 


💚1937年には、黒人ブルースをベースにした「別れのブルース」が、50万枚を超える大ヒットとなった。


💚ソプラノ歌手の淡谷のり子は、アルトの音域で「別れのブルース」を歌った。

⭐️有名な「別れのブルース」を載せますので、
宜しければ、是非お聴き下さい音譜ラブラブ

💗淡谷のり子 別れのブルース💗


💚そして、良一は、東京に設立されたSGD「松竹楽劇団」の初公演の副指揮者に就任し、帝国劇場で笠木シヅ子と初対面する。

初め、小柄で地味なシヅ子にがっかりした良一であったが、シヅ子の迫力ある歌声とパフォーマンスの存在感は、良一の心をとらえて離さなくなった。