服部良一は、17歳の時、ラジオ放送用に結成された、大阪放送局設立の楽団(後の大阪フィルハーモニック・オーケストラ)に入団。



第2フルートを担当する。



そして、常任指揮者に迎えられた、亡命ウクライナ人指揮者「エマヌエル・メッテル」に出会う。



エマヌエル・メッテルは、ロシア革命により、日本に逃れて来た、ロシアのクラシック音楽の第一人者である。


世界で活躍したマエストロ・大指揮者「朝比奈隆」も、メッテルの愛弟子であった。


朝比奈隆


良一は、神戸のメッテルの自宅に通い、4年に渡って、和声学・管弦楽法・指揮法を学んだ。


メッテル先生の写真と羽鳥善一(服部良一)



服部良一は、こうして一流の音楽理論を身につけるに至る。



⭐️服部良一さんの残した言葉⭐️

☆「メッテル先生に、和声学をはじめ、指揮、管弦楽法を徹底的にたたき込まれた事が、その後の僕にどんなに役立ったか、はかり知れない。」

☆「今日では、メッテル先生の孫弟子やひ孫弟子が、全国にどれだけ散らばっていることだろうか」




💙エマヌエル・メッテル先生の事は、全く存じ上げなかったので、また、調べてみたいと思いました。



🌸最後までお読みいただきまして、ありがとうございました🌸









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