その2.埋蔵資源の限界
拡大(=成長)至上主義のもとに産業や都市は重厚長大化し、化石燃料と原子力に依存したエネルギー浪費社会は、生命が40億年かけて創り出した現在の生態系のみならず地球そのものをも蝕んでいっている。簡単に言えば、経済成長と引き換えに地球の資源が失われてしまっているということだ。と、言えば簡単だがこの事実、何とも深刻な問題なのである。なぜなら、地球の生命体が何億年もかけて蓄えた地下資源を、人類という一種属がたったの100年余りで使い切ろうとしているからだ。それのみならず、大気中には何億年分ものCO2が一気にばらまかれてしまう。さらに、原子力に至っては放射能までまき散らすことは今さらいうまでもない。
ところで、日本の自動車業界がリードする電気自動車をエコカーだと思っている人が多いようだが、私に言わせればエコではなくエゴである。石油やウランで起こした電気で車を走らせる以上、決してエコにはならないからだ。ハイブリッドカーのほうがまだましで、現状のガソリンの代わりに植物油を使用してはじめてエコカーといえよう。ともかく人間とは欲望のかたまりであり、はなはだ身勝手な動物なのである。
既にお解りのことと思うが、上述した地下資源(石炭、石油、天然ガス、ウランなど)による枯渇性エネルギーの消費が、生物と地球の将来にとって「悪」であることは明白である。それに対する「善」エネルギーとは、太陽光、太陽熱、水力、風力、地熱、波力、温度差、バイオマスなどで生まれるもので、いくら使っても枯渇することない再生可能な循環型エネルギーである。別称、自然エネルギーあるいはソフトエネルギーとも呼ばれ、地球が存在する限り、人類や生物に負担をかけることは一切ない。私たちは過去を悔い改め次世代にツケを残さないためにも、早急に「悪」から「善」へエネルギーを切り替えていく必要がある。
もう一つ付け加えるならば、自然エネルギーの代表格である太陽光・熱は、エネルギー循環だけではなく、植物とのコラボレーション「光合成」によってCO2を減らしO2を造り出している。私たち動物が日々おいしい空気を吸えるのもこのおかげなのである。さらに興味深いことに「光合成」は、生態系大循環の源でありながらも、その基本システム自体は一枚の葉っぱの中で完結しており、現代文明の粋を結集しても造り得ない神技に等しいといわれている。
<図:森林・林業学習館 http://www.shinrin-ringyou.com/ より引用>
つまり人類の文明は葉っぱ一枚にさえかなわないということなのだ。そんな文明が、ましてや経済成長が、この先果たして必要なのだろうか。人間とは賢くもあり、また愚かな
さて、ナウシカの暮らす風の谷では、海から吹き付ける潮風で風車を
回し、その動力で地下水を汲み上げ、生活用水や農業用水をまかなうという中世さながらの情景が描かれていた。
日本で言うなら戦前までの里山-水車を回すことで揚水や脱穀・製
粉を行う姿-がこれに近いだろうか。
ちょっと心安らぐものがある。ムーンワーカーズが農業を始めた理由はここにある。
