昨年末くらいから、昔の宝塚関連の出版物を読み返しています。

峰ちゃんに会えない寂しさを紛らせるためなんですけれど‥‥。

そこで再発見した、心に残った記事の一つ。

 

 

 

 1976年(昭和51年)「宝塚グラフ」6月号より

★スポット★ 夢の国のプリンス ~峰さを理~  

 

★数えきれないほど、たくさんの星がきらめく宝塚。その中で、より大きな輝きを放つためには、歌やダンス、芝居のテクニックだけでは不十分である。それ以前の〝何か〟をもっていなければならない。努力して得られるものではなく、天性のもの、言葉では言い表わすことのできない〝何か〟を。峰さを理には、その〝何か〟がある。

★笑顔がかわいい。〝マシュマロのような〟という形容が、ぴったりあてはまる人である。夢見がちな瞳、ふっくらした頬、甘い口もと‥まさに宝塚のプリンスにうってつけの雰囲気を持っている。そして、まだあどけなさの残る甘いマスクとは不釣合にすら見えるのびやかな肢体。それらは、子供から大人への過渡期にある少年のような一種のアンバランスな感じを与える。そこがまた、彼女の魅力の一つなのであろう。

★峰さを理が生まれたのは、福井県の敦賀。彼女は、故郷をこよなく愛している。自然が彼女の素直さ、純粋さを育んだのであろうか。今でも、苦しいこと、いやなことがあると、敦賀の海を見に行く。「冬の暗く荒々しい海を見ていると、自分の存在が小さなものに思え、悩みも消えてしまうんです」。そう語る彼女の瞳は、はるか遠くの海を見つめている。

★美しい自然と暖かい家族に囲まれてのびのび育った彼女が、初めて宝塚を知ったのは、中学生の時である。『霧深きエルベのほとり』を観て、夢の世界に魅せられた。特に準備もせず、音楽学校を受験して合格。初舞台、バンビーズと順調なスタートを切った。

★峰さを理が、初めて一条の光を放ったのは、まだ研2の時。星組に配属されて最初の作品『この恋は雲の涯まで』の新人公演で、主役義経に抜擢された。鳳蘭が、そして、花組では甲にしきが演じた大役である。台詞を言ったこともない全くの新人の起用に、周囲は不安を抱いたが、それを見事に払拭する好演。得意の日舞を生かして、堂々と義経を演じた。突然輝きだしたこの新星に、人々は驚くと同時に、大きな期待を寄せた。

★その後、『虞美人』の乾王陵、『ブリガドーン』のチャーリー等彼女の持ち味を生かして巧演。着実に実力をつけてきた。また、この頃、高汐巴、寿ひづるとトリオを組んで活躍し、三人で競い合った経験が、よい勉強になったと語っている。

★一方、新人公演では『アルジェの男』『屋根裏の妖精たち』『美しき青きドナウ』そして今回の『ベルサイユのばらⅢ』と立て続けに主役を演じている。それらの本公演での主役が、彼女の目標とする鳳蘭。舞台はもちろんのこと、鳳の豊かな人間性に惹かれると言う。「鳳さんと同じ舞台に立つことができ、新人公演では、同じ役をやらせていただき、勉強になりますし、ほんとうに幸せです」。彼女の目標とする大きな星が、いつも彼女を導いてくれる。

★しかし、こうして今まで彼女がたどって来た道を振り返る時、一つの危惧が生じることも否定できない。恵まれているだけに、それに溺れてしまわないか。下積みの苦労を知らないだけに、もろさが出ないか。宝塚が、いくら夢の世界であっても、やはり舞台人としての芯の強さがなければ、その星は、輝きを失う。甘いだけの二枚目では、終わってほしくない。

★その心配を消すように、峰さを理は言う。「今までは、ただ夢中でしたが、この頃、舞台のこわさがわかってきました。新人公演でも、自分だけではなく、まわりの下級生もリードしなければいけませんし‥‥」「これからは、かわいい役だけではなく、大人の芝居もできる舞台人になりたい。そのためには、今まで以上に勉強しなければと思います」。真剣にそう語る彼女の横顔から、幼さは消えていた。夢の世界のプリンスというイメージから、深みのある、幅の広い舞台人へ脱皮しようと努力しているのであろう。今が大切な時である。

★サン・テグジュペリの星の王子さまは言う。「星があんなに美しいのは、目に見えない花が一つあるからだよ」。峰さを理も、自分の花をしっかりつかみ、さらにその輝きを増して行くであろう。