私がこれまでに観た作品について書いていきたいと思います。
まずは初めて峰ちゃんに会った作品から。
『ベルサイユのばらⅢ』(脚本・演出 植田紳爾・演出 長谷川一夫)
1976年(昭和51年)3月25日~5月12日(宝塚大劇場)
母が表紙にスタンプを押してしまったプログラム
但馬久美さんのアンドレと順みつきさんのオスカル
汀夏子さん
姉のご贔屓だった安奈淳さんと榛名由梨さん
峰ちゃん可愛い
配役
- フェルゼン ― 鳳蘭
- マリーアントワネット ― 初風諄
- オスカル ― 榛名由梨(3月25日~4月1日)
- 〃 ― 安奈淳(4月2日~4月9日)
- 〃 ― 順みつき(4月10日~5月2日・11日)
- 〃 ― 汀夏子(5月3日~5月10日)
- アンドレ ― 但馬久美
- ロザリー ― 衣通月子
- ベルナール ― 浦路夏子
- ジェローデル ― 三代まさる
- ルイ16世 ― 椿友里
- モンゼット侯爵夫人 ― 水穂葉子
- ベザンバール侯爵夫人 ― 淡路通子
- ランベスク公爵夫人 ― 水代玉藻
- カロンヌ子爵夫人 ― 木花咲耶
- マリーヤ ― 玉梓真紀
- ソフィア ― 奈緒ひろき
- ジャンヌ ― 四季乃花恵
- 小公子 ― 峰さを理
まさに宝塚の王道ともいうべき豪華絢爛な舞台で、当時小学生だった私でも飽きることなく最後まで夢中になって観ることができました。
初風諄さんの迫力あるソプラノと鳳蘭さんの圧倒的なオーラ、衣装も照明もキラキラ輝いて本当に夢のような世界でした。
初日には4人のオスカルが勢揃いしましたが、もちろんチケットは取れませんでした。
ベルばらはチケット難で、1回目は3階席で観たんですが‥、旧宝塚大劇場の3階席はとても狭く、椅子も硬くて段差もきつい。特に真ん中の通路を隔てた後方の座席は急勾配で、前屈みになると前の座席の人を巻き込んで、雪だるま式になって下まで落ちてしまうんじゃないかと思うほどの恐怖感がありました。その上、銀橋は頭しか見えないし、アンドレの最期の橋のシーンは脚しか見えない‥
当時のチケットは前年の公演のフィナーレが印刷されていて、とてもカラフルで綺麗でした。
このチケットの写真は花組の『ベルサイユのばらⅡ』で姉のご贔屓だった安奈淳さんのオスカルと榛名由梨さんのアンドレです。日付の判も組によって形が違っていてこの公演は星組なので星の形をしています。
1回目は3階席だったので300円。ファミリーランドの入園料が別に必要だったとはいえかなりリーズナブルな価格です。そして2回目でようやくA席でそれでも800円でした。
1976年4月時点での宝塚大劇場のチケットは、S席1100円、A席800円、B席500円、C席300円でした。
とても良心的なお値段だったので、親子4人で毎月通えました。物価の上昇を考えても今のチケットは高すぎます‥
因みにプログラムは150円でした。
『ベルサイユのばら』は何度も再演されていて色んなバージョンがあるんですが、この作品だけヴァレンヌ逃亡の場面があって、本物の馬が舞台上に出ていました。『虞美人』の時に登場した馬の1頭だったそうですが、憶えていないんですけれど、必要だったんでしょうか‥?
そして何故かロザリーが裏切って計画が破綻するという設定になっています。
ロザリーがアントワネット一家の運命を変えてしまうというこの展開はどうなんだろう‥と、ちょっと違和感がありました。
この公演は当初5月11日までの予定でしたが、好評のため千秋楽を1日延長して12日にも追加公演が行なわれました。千秋楽が1日延びるって今ではちょっと考えられないですが、当時はスポンサーも何もついていなかったので、かなり自由で融通が利いたのでしょうか‥。
プログラムの日付は11日のまんまです。
峰ちゃんの本公演の役は小公子で、1部と2部のプロローグにブロンドの髪に白タイツの王子様風の衣装を着けて登場し、三人のばらの少女達と共に歌い踊っていました。
小公子は各組の期待の新人が担う役で、花組では同期の寿ひずるさん、雪組では山城はるかさん、月組では大地真央さんが演じていました。
1部のプロローグの歌は全てのベルばらで同じメロディーですが、歌詞はそれぞれ違っていてこのパートⅢだけ少し悲しいんです‥。
めぐり来て三度咲くばらの花
やがて散る運命と知れど
香りも高く
色とりどりに
三度咲くばらの花
三度咲くばらの花
2部のプロローグは主題歌の「ばらのスーベニール」をハンドマイクで歌ってセリで下がり、2番の歌詞からフェルゼンのツレちゃんに変わります。ツレちゃんに変わったとたんに急に大人の雰囲気になります‥。
この時、私はまだ小学生だったのでぼんやりとしか憶えていなくて‥。かなり後で放送されていたBSの番組を見て当時を思い出した次第です。でも、小公子の峰ちゃんは憶えています。プロローグのキラキラした夢のような舞台の真ん中で歌い踊っていた姿はしっかりと憶えています
峰ちゃんは主題歌の「愛の怯え」と「ばらのスーベニール」のレコードを出していました。
そして、公演が始まる1時間前に大劇場のロビーの階段になった所で主題歌を歌って、その後サイン販売会を行っていました。
私が観たのは2回とも3時公演だったので、たぶんやってなかったような‥?
このレコードが初めての峰ちゃんのレコードで幸運にも家に有ったのですが、ありえないことにジャケット写真を紛失してしまいました。峰ちゃんのファンになった時に家中捜したんですが見つからなかった‥
「ばらのスーベニール」 植田紳爾 作詞・寺田瀧雄 作曲
人には終わりがあるように
花さえいつかは散ってゆく
人には別れがあるように
花さえいつかは散ってゆく
別れがこの世の運命なら
せめて今だけ愛に生きよう
束の間だけになお強く
咲いた花なら散るように
あとには別れが待っている
人には涙があるように
花さえいつかは散ってゆく
人には愛があるように
花さえいつかは散ってゆく
愛がこの世の運命なら
せめて今だけ愛に生きよう
束の間だけになお強く
咲いた花なら散るように
あとには別れが待っている
この歌、今聞くと切なくて歌い出しからとても悲しい‥‥。
まだ研5の、23才だった峰ちゃんの声です。
峰ちゃんはフェルゼンの代役もついていていたので、ツレちゃんが体調不良の時に一度、フィナーレの階段のボレロを安奈淳さんと踊ったそうです。
この話をどこかで聞いたことがあるんですが‥思い出せない‥。
当時の楽屋日記から 1976年(昭和51年)歌劇5月号より(原文ママ)
×月×日
ツレさん(鳳蘭)の体調が思わしくなく皆とっても心配。
でも休まれず立派に舞台を務められましたが、ボレロは階段のダンスのため、休演。
ミネちゃん(峰さを理)が代役で踊る事になり、サー大変、でもよくやっていました。そでというそでは、黒山の人だかり。階段だけに、動くたびにひやひや。
今日は寿命がちぢまる思いでした。
楽屋日記は下級生の担当なので他にも峰ちゃんの名前がよく出てきます。
×月×日
バスティーユの場面、転ぶのは誰かが初中終でも大の字に寝転がって、しばし起き上がらなかったと言うんですから、それだけならまだいい、起きた途端にチャックがザー(ホックは前から取れていたらしく)と下まで、ベローンとずり落ちるズボンを押えながら、冷や汗百万で踊った人は、優雅に小公子で歌っているミネちゃんだと情報屋をしてくれているマコが教えてくれました。
でもミニスカートや前チャックでなくてよかったですねェー。
姉のご贔屓だった榛名由梨さんと安奈淳さんのほっこりする記事も同じページに載っていました。
×月×日
ショーちゃんオスカルからオトミさん(安奈淳)オスカルに交代の今日が初日。舞台のそででは、早くからオトミさんが待っていらして「どうしょう、上がるわ!」とターイヘン!しかし舞台に出られると、なんのその、さすがスターさん立派ですね。初日も大成功。おめでとうございます。私達も花道より声援をお送りしました。客席では、一番前でショーちゃんが御見学「自分がしているより緊張したワ」と言ってらっしゃいました。下級生思いのショーちゃん、やさしいでしょ皆さん。
ショーちゃんって本当に優しい方なんですよね。
姉の影響で私もショーちゃんとミキちゃんには勝手に親近感を持っているんです
当時、生徒さんの間で風疹が流行っていたそうです。
星組の楽屋日記だけでなく、月組や岸香織さん等のえと文でも話題になっていて、ちょっと驚いたんですが、まだワクチン打っていなかったんですね‥。
峰ちゃんは休演していなかったのでたぶん大丈夫だったと思うんですが、休演者が沢山出て代役が多かったそうです。
初めて峰ちゃんに会ったのは、まさしく〝すみれの花咲く頃〟でした。
忘れな君‥‥。です