数日前にようやく梅雨が明けましたね。(関東地方)

青い空と白い雲と晴れが戻ってきた!!

 

同時に、夜にはお月様が見えるように!!

どれだけぶりだろう…。

 

やはりこうでなくっちゃ!

明日はというか、日付変わってすぐ満月ですね。

だから今夜じっくり見ないと満月

 

ネイティブアメリカンは8月の満月を

スタージェン(チョウザメ)ムーンというそうですね。

 

そしてそのあとすぐに、8月8日ライオンズゲートが開くという。

何があるか、何もないけど、内的な何かの変化があるのか。

 

 

 

コロナはますます感染の増加傾向にあり

気持ち的に晴れませんが

一部で言われるところでは、人対人への感染が進み

弱毒化しているのでは、とのこと。

若い人が多いからかもしれませんが

確かに死者数は多くなく、回復して退院される方も多いみたいです。

 

このまま普通のインフルエンザみたいになり

特効薬とワクチンができれば安心ですよね。

 

それで、感染増加は怖いですが

また4月5月6月のような自粛して家に閉じこもる生活に戻るのは

恐らく違うんでしょうね。

経済が生活が立ち行きません。

 

手洗い、消毒、うがい、マスク、三密を避けるを徹底して

感染しないように自分と家族の身を守るしかないです。

 

私の年齢になると感染しても症状がないというのはない

と思っていて

よくて軽症かそれの少し重い程度、よくなくて中度くらい?

重症になるのは避けたいですが、何にもない

というのはないんだろうな、と覚悟はしています。

 

慎重にかつ少しだけ大胆に?

(あまりビクビクしても仕方ないという意味です)

できる範囲で楽しみも見つけたいです。

閉じこもってばかりだと

感染しなくても、気持ちが落ちてしまいますよね。

 

あと、落ち着いたらやはりジムに行ってヨガを再開したいです。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

テーマがくるくる変わりますが

最近フッと浮かんだのは

(なんか、集合意識から飛んでくるような感じ?)

人との関係性を上と下で見ることを

もっとさらに手放すことが大事、ということです。

 

私も相当手放したし、意識も相当変わっていると思っていましたが

まだまだあるみたいです。

一度手放したからもういいというんではないみたいです。

 

嫁姑関係とか、夫婦間のモラハラなんかも

上下で見ているからあることなんですよね。

普通の友人関係、職場の人間関係もそうです。

嫌な気持ちになるのは、そこに上か下かがかかっているから。

 

もちろん、年齢が上で立場が上の方には

それ相応の敬意は払うべきですが

問題になる…どちらかが苦しくなる場合は

上下関係がきつく出ている場合です。

どんなに良かれと思って接していたとしても。

 

よく、悪気がないから…と言われますが

悪気がないから仕方がないではなくて

悪気がないからこそ危ないというかヤバい。

悪気があってやっている場合は論外。

 

ただ、上下で関係性を築いている人の場合

上と思っている人には下手に出て、礼儀正しかったりします。

その分下と思っている相手にはぞんざいです。

 

でも、人と人の関係には本来上も下もないんですよね。

 

ここで、少し前の記事の

情愛と慈悲の愛と見返りを求めない愛と

宇宙の愛についてを思い出しますと

情愛とか慈悲の愛のレベルというか

でも、それも違う、そもそも愛というものが薄くて

その代わりに理屈というか、きっとこうすれば

人間関係に間違いはないだろう

そしてよそから見て悪く思われないだろう

というレベルのもののような気がします。

 

外聞を気にするということですよね。

外聞が整っていたら、あとは

自分にとって下と思っている相手には

(それは生活費を渡しているからや育ててやっているからが入っています)

自分の価値感で動かしていいと思っています。

責任を感じてやっているようで、エゴで動いています。

エゴを愛と思っている。

 

例えば親子関係で

子供の行動が自分の思ったようでなくて

(発達が遅い、どこか体に病気があるとか)

その際心配をしますが、それも

大きな目で見て愛ということもできなくはないですが

エゴの愛です。

 

もちろん心配はします、普通に。

でもまずはそのこと(例にある発達が遅いとか病気とか)事態を

丸ごとそっくりそのまま受け入れることです。

受け入れての心配と受け入れないでの心配は

全く違います。

受け入れることで多少愛のエネルギーが通います。

 

そうか~言葉が遅いか~オムツがとれないか~

ということを、否定せずにそのまま受け入れる。

そうなんだね、と。

そうすると、自分の思うように、というコントロールが外れます。

なんでこうなの、とも思いにくくなります。

 

職場の関係でも、仕事が遅い部下に対して

なんで遅いんだ!ちゃんとやってほしい!とかではなく

そうか~ゆっくりなんだな~とまずはいったん受け入れる。

そこにできるだけ決めつけを入れないこと。

 

友人や恋人といった、まだチェンジが可能な場合は

あまりに合わない場合は距離を取るかお別れすればいいのです。

 

自分が上の立場でありたいとか

上の立場の人から引き揚げてほしいとか

そういうことも手放していく方向性で。

 

親子でも、育ててあげているのはそうなんですが

(時間や手間やお金をかけていますからね)

でも、育てさせてもらっているんですよね。

子供は自分を再育てするための教師ですしね。

 

そう考えると子供が何か問題を持っていても

必要以上に責任を感じて悩む必要はなく

子ども自身の問題と離して対応することができます。

相手を大人扱いするというのか。

自分と対等かそれ以上と思ってみると

本人の問題としてお任せすることができます。

本人主導で見守るというかね。

 

子供が困るから…と思って過剰に心配するのは

自分が今も後々も困るから。

あとは、世間的にどう思われるか

これが大きいでしょうね、思っていないと思っても

そうなんですよね、意外とね。

 

ああ、これらのこと、子育て真っ最中だった

若かりし頃の自分に届けてあげたい。

まぁ、いくつになっても親は子供の心配をするので

今でもこのことは役に立つのですがね。

 

すべては等しく、上も下もない。

もしあるとしたら、そういう役割であるということ。

親…身の回りの世話をする

子…身の回りの世話をしてもらう

それは昔からずっとそういう役割を繰り返してきて

そうやって命をつなげてきたということ。

 

会社での関係なんかもそう。

すべて役割。

 

上と下という観念があるから比較競争が生まれ

心に波風が立ち、消耗も大きくなります。

 

あなたは私、私はあなたというワンネスも

一部こういうことなのかもしれない、と思います。

 

 

↓は、先日行った弘前城の天守閣?にいく前の風景

4月下旬ころはきっと桜が満開できれいだと思います。

でも新緑と赤い橋の色もきれいですよね。

目の保養になればウインク