こんなことを書くこと自体、エゴじゃないか

と自問自答をしたんですけど

もし、不快に感じましたらごめんなさい。

 

 

 

 

 

この激動の時代に、私たちは

起こったことに対してできるだけ

ポジティブに捉えることが必要だなって

日々実感しています。

 

ついつい、思った通りにならないと

なんで?何のせい?などと思ってしまうのですが

とりあえずでもいいから

起こったことすべてに対して

必然で起こっていること、と

受け止めることが大事なのだなって思います。

 

 

 

 

三浦春馬さんが先日若くして亡くなりましたよね。

多くの人々が衝撃を受けています。

私も名前と顔のみは知っていて

何気なく出演番組を見ていたくらいで

特にファンとかではなかったですが

ニュースで見て、え!って声が出て

衝撃を受けました。

 

原因となることを色々と報道されていましたが

そういうこともあるだろうな、と思いつつ

なぜ多くの人がショックを受けているのか

どうして死を選んだのかを感じてみました。

 

このコロナ禍の時期に

自分の生命もどうなるかわからない不安定な中で

才能あふれる若い人が亡くなったことに

自分が生きていていいのだろうか、と存在意義を考える

ということがあるのかもしれない。

 

特に、同じ年代の人、母親世代の人は

集合意識から流れてくるものもあり

深く考えさせられているのではないか。

お母さんからの影響が大きいという報道もありましたし。

 

私も親として考えることが多かったです。

ひっそりと、親世代の悪、毒みたいなものは

ということを研究していたりするし…。

 

三浦さんは、繊細さ故生きにくくて

もうこれ以上頑張って芸の道を進み

ストイックに高めていくことは限界だったのではないか。

うんとやるかやめるか、そういう極端なところもあり

そういう意味できれいなまま

絶好調のところで終わりにしたかったのではないか。

 

公開されたミュージックビデオを見て

お芝居だけでなく、歌も踊りもあんなにすごいのか!

と驚き感動しました。

 

なので、自死も寿命なのだと思うんです。

限界だった。

体はまだ大丈夫でも、心が限界。

特に繊細で感受性が鋭い方のエネルギーの消耗は

想像を超えると思います。

 

80年分を30年でやり切った…のかもしれないです。

 

 

以前もう大分前のころ

対面でセッションをしていたころ

ご紹介で、大切な息子さんを自死で亡くされたお母さんがいらっしゃいました。

私は普段、そうした亡くなった方との対話はやっていませんが

やれ、と言われたらやるしかなくて

 

やはり心の限界だったんですよね。

あと、自分の考えや生き方が世間一般の常識を超えるもので

もちろんどうやっても両親に理解されるとは思えず

最後の表現という感じで死を選んだ、というか

ある表現をして亡くなったようなのです。

 

不謹慎かもしれませんが

やはり死とは祝福なんですよね。

どんな亡くなり方をしたとしても。

 

生まれる時は確かに祝福なのですが

どうしても死はお別れですから悲しみが伴います。

残された方は喪失感も大きいです。

 

肉体がなくなるということはとても悲しいですし

悔しいですよね、若いとなおさら。

でも、魂は次のステップに向けて旅立てるのです。

 

何か、次の世代に渡すために、早く旅立ったかもしれない。

待ち受けているグループソウルがいるのかもしれない。

天使の称号?を持って、神の領域で活躍するのかもしれない。

 

 

生きている私たちは、もっと何かできたんじゃないかと

助けられなかった罪悪感もあるかもしれない。

でも、持って生まれた生命のエネルギー量はどうすることもできないし

それを細く長く使うか、太く短く使うか

それは本人が決めること、というか

生まれる前に決めてきたこと。

 

お母さんに対しては、恨みなどなく感謝しているよう。

ただ、母から受け取った光は最大限に輝かせた上で

受け取っていた闇はどうやってももうこれ以上は無理

となって、死という方法で浄化したようです。

 

これも彼の持つ最大限の愛の形です。

 

 

どんな生き方も、どんな形でも

すべては愛から来ていて

祝福されるべきもの…。