この連休に、青森に行ってきました。

 

恐山。

 

出発日直前に、埼玉県の感染者が増していて

本当は自粛した方がいいと思ったのですが‥‥ね。

 

恐山のあるむつ市の市長が

来ないでくださいとガンガン言っていましたが

それの訳は多分

恐山のお寺が例大祭だったからだと思われます。

医療機関の準備が整っていないので

大挙して参詣者が訪れ、感染が拡大したら大変なことになりますしね。

 

でも実際はひっそりとしていたし

その時だけいるというイタコもいなかったので

例大祭は中止になったのかもしれないです。

 

私は宿とチケットを予約をした数週間前に

青森、恐山という風に言葉が浮かび

前々から岩木山神社に行きたいと思っていたので

青森に行くことにしました。

 

例大祭があるとは知らなかったし

どうしていくのかもよくわかっていなかったです。

 

行ってみて最後の方に分かったのが…

(って、ある意味親不孝なんですけど)

今年2月に亡くなった母の供養のためだった

と気づきました。

 

そして、一週間前くらいだったか

NHKの新日本紀行という番組で恐山をやっていて

少しだけ予習しました。

 

 

 

亡くなった身内の方のご供養に行かれる方が

例えば手ぬぐいとかを林の低木の枝に結んだりしています。

ちょっと独特な雰囲気です。

 

私はそういうのはいいかな~と思って

何も用意して行きませんでした。

 

↓ここは地獄とされている火山ガスが噴出し

黄色く変色している岩肌で

いくつかの供養塔があるエリアへの入り口

 

 

独特というか、異様というか

怖くはなかったですが

亡くなった方への遺族の嘆きと悲しみが込められているような

そんな場所だという風に感じました。

 

そんなすごい雰囲気の様々なエリアを過ぎると

私がどうしても行きたかった極楽浜が見えてきました。

宇曽利湖という湖です。

 

 

お天気が曇りだったので、湖の色が今一つでしたが

 

 

↑砂浜にいくつか風車が挿してありますが

恐らくお子さんを亡くされた方が

供養のために挿して行かれたのかなと思いました。

 

 

湖の水の一部が黄色いですが

それは山の方から硫黄の混じった水が流れてきているからです。

なんとも不思議で美しい風景ですよね。

 

 

 

↑ちょっと斜めになってしまいましたが…。

 

しばしここで佇んでいたら

夫が、時間がないから行くよ、と急かすので

先に行っていてもらいました。

(時間はたっぷりあるんですプンプン

 

実はここに来て、なんとなくただならぬ気配を感じていたのです。

 

すぐ上の写真の右上に写っている森のようなところから

母の声のエネルギーで

 

「満足した~」と聞こえたのです。

 

え!っと思って

そちらに意識を向けてみたら

ああ、これって母の靈が会いに来てくれたんだなって思いました。

 

晩年は認知症になり、ずっと施設にいて

最後の数年は私や弟の顔も忘れてしまっていたし

父が亡くなってから母が混乱して

認知症が一気に進んだとき

私への暴言がひどくて

弟が一手にお世話を引き受けてくれたので

私が会いに行くのは年に一二度程度で

自分を守る意味では必要なことだったとはいえ

やはりこれでよかったのかと少しの罪悪感は残っていました。

 

葬儀の時にはきれいに浄化されて召されて行ったことを感じたので

ずっと安心していたし、夢に出てくるとかもなかったです。

(父の時は49日の後にだったかありました。)

 

それで、感じたことは

母はここに来たかったのだということ。

生前若いころから、特定に宗教はなかったですが

神社仏閣に対して信心深く

少し遠い神社も毎年決まった時期に必ずお参りに行き

お札をもらい、家で手を合わせることをしていました。

 

私の母であることを考えても

(母から娘にバトンが渡っているという点で)

きっとこういうコアなところに来たかっただろうし

興味があったのではないか、と思いました。

それこそ、イタコの過去生もあったかもしれない。

 

一点の曇りもないような母のエネルギーを感じて

来てよかったと思いました。

 

母は若いころ、愚痴が多くて

幼い私が毎日学校から帰って聞き役になっていて

それ以降ずっと母のカウンセラーに徹していて

身の回りのお世話はよくしてもらいましたが

時々毒を吐き、私にすべての責任転嫁をするのが

私としてはつらかったのですが

 

色々あったとしても悔いのない人生だった

と亡くなってから思えていることはよかったです。

 

なんだか静かに

報われた感じがしてきて、じんわりとしました。

極楽浜はいつまでもいたくなるところでしたが

後ろ髪を引かれる思いで帰ってきました。

 

 

 

 

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もし、晩年認知症にならず

父の死後、弟ではなく私がお世話することが多かったら

こんな風にはならなかったかもしれないです。

やはり

 

「距離感」

 

ですよね。

 

罪悪感はありながらも、そばにいないでできる孝行がある

というスタンスで(そういう導きで)来て

これがあって、きれいに浄化されたのだ

と思うことができました。

 

どんな孝行かというと

恐らく精力的にやってきたインナーチャイルドの癒し

これが間接的により自分を癒し、母をも癒したのではないか

と思います。

 

自分を信じて今できる精一杯のことをやる

それがいいのだと思います。

 

 

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先日行ったスターシードのヒーリングをさせていただいた中で

とってもスターシードのイメージっぽい感じがする

体験談をいただいたので、許可を得まして掲載しています。

わたしはとっても元気をいただいたので

よろしければお読みください。

 

光の体験集