またまた続きのようなものです。

 

今朝顔を洗っているときに

フッと気づいたことです。

 

木星が蠍座に入った12年前、24年前、36年前

と順を追って見て行き

その共通したものを考えていたら

 

自分の立ち位置が変わった、と気づきました。

立ち位置が変わったので、出会う人たちが変わった。

 

特に12年前は、それまでだって

占い師という相談業務だったけれども

ヒーラーになって出会う人が変わったのは

その方々がスピリチュアルに興味がある

ということ。

これが決定的に違うところでした。

 

木星が蠍座に入ったのは、今年の場合

10月10日。

その日は何があったっけ?とブログを見てみたら

その前日に母校のブラスバンドの演奏会に行き

その音を聞いた時の感動の様子を書いていました。

 

17歳の自分からエネルギーを受け取った

と感じたからです。

 

なんか、そこから一ヵ月経ってさらに気づいたんですけど

人生においてそれぞれ節目があり

私の場合は卒業と同時に、その時に頑張ったことを

すべて手放してしまったという

それは達成感ともいえますが

ある意味喪失感でもあるわけです。

 

やっていたことがそのまま

次の場所で続けられれば良かったですが

音大に行くわけでも、音楽を仕事にするわけではないので

終わってしまったのです。

 

そこから長い時間が過ぎて、まさかのフィードバックでした。

様々なものが積み重ねられて戻ってきたことでの

あの感動の涙でした。

エネルギーに敏感になっているので

頭ではなく、ハートが勝手に感じて、反応しているから

あの涙だったのです。

 

つまり何が言いたいのかというと

例えば、恋愛でも仕事でもいいのですが

相手と別れてしまった場合

仕事なら、そこをやめた場合

転職したりして、まるっきり変わってしまった場合

 

それまでの頑張りみたいなもの

恋愛なら相手に捧げたこと、思い出など

すっかりなくなってしまう喪失感が半端ない

と思うんですけど

 

そういうのも、形がなくなるだけで

その時に一生懸命だった自分というのは

ちゃんと残っている・・・

しまってあるんですよね。

 

そしてその後また懸命に生きて行ったことが

経験として積み重なっていって

ある程度の時間がたった時に

シチュエーションを変えて

戻って来るんです。

 

だから、形を失うことを恐れなくてもよくて

むしろ頑張った自分を褒めて労わって

その次に行くといいんですね。

 

皆さんの多くはまだ若いので

自分の人生に対してどうなっていくんだろうという

漠然とした不安感があるかもしれません。

 

でも、今がどんな状況であっても

自分の人生を諦めてしまわなければ

できるだけでいいから自分を信じていれば

何とかなっていくんですよね。

 

というか、ちゃんと積み重ねられて行って

頑張った分は何かの形で(最善で)戻って来る。

 

今から12年前の10月はどうだったか

というのも、もっと詳しく思い出してみました。

今になって思うと、不思議な導きがあったな

と思いました。

 

もう時効だから書くと

レイキの恩師である先生のお身内にご不幸があって

葬儀に行かせていただいたんです。

そこで、レイキの先輩に言われたのです。

 

「聖子さん、ティーチャーにならないの?」って。

 

ティーチャーとはレイキティーチャーのことです。

 

私は今いるところでもっと学んでからなるかな?

と漠然と思っていたし

なによりも、先生から

あと1~2年学んでからと言われていたので

 

それを言ったら先輩は

 

「いや、今よ。

ここは卒業しなさい。」

 

とのこと。

その言葉に動かされましたね。

かなり動揺しましたが。

 

そんなことが、12年前の10月

木星が蠍座に入ったであろう時にありました。

運命の曲がり角でしたね。

 

思い出すともっと面白いことが起こっていました。

ショック療法ですかね?

その当時スピコンと言われていた催しに行って

そこでオーラ写真を撮りました。

それにはリーディングがついていて

オーラ写真を見てやってくれる方がいました。

 

その人に、思いもよらないこと

今思うと、あなたはエンパスです

的なことを言われたのですが

それによっていい意味でそれまでの私の生き方が

根底から覆されました。

 

あの頃は今よりもハイヤーセルフとのつながりが

当たり前ですが弱かったので

自分の内側からではなく

人からの助けによって動いていたんですね。

 

そう思うと人間って

肝心な時にちゃんと助けがあるんだなって思います。

 

だから私は今、恐らく

自分がどうこうというよりも

自分の高次元に近いところは

晴れ晴れとしているけれども

外からの評価を気にしている現実の自分が

苦しく感じているのかもしれない。

 

勝手にこれを暗闇だと決め込んでいるのかもしれない。

 

暗闇と感じているなら

それは太陽が東の空から昇る直前の

ある意味最も暗く感じる

ほんの一瞬の時なのかもしれません。