セッション中に何人かの方に
五島で出会った鷲?鷹?の一種
断言できませんが、ハチクマという鷹の一種?
の写真をアップしますね、と言いつつ
まだだったので、これからアップします。
その前に、流れを。
長崎県五島列島の中心となる島は、福江島で
ここに空港もあります。
泊ったのは二泊ともこの福江島でした。
2日目の午後
久賀島というところに渡りました。
こちらにはレンタカーがないため
福江島で借りた車をそのままフェリーに載せて行きました。
久賀島って、福江島の隣の島ですが
住んでいる人は少なくて
島を車で走っても、人や車にはほぼほぼ出会いません。
でも、道は舗装されているし、ガードレールも整備され
もちろん電柱も張り巡らされていて
そういうライフラインはばっちりです。
さすが日本だなぁ、と感じました。
どんな離島にもあるべきものはある、という感じです。
それで、この島には教会が3つあり
最初に訪れたのは、浜脇教会。
そして次が、隠れキリシタンとして迫害された
牢屋の搾 殉教記念教会でした。
↑この墓碑は、わずか6坪ほどの部屋に200人を詰め込み
その際に亡くなった人たちのもので
一つ一つには名前と、どんな風にに亡くなったのか
ということが書いてあります。
↓この石碑には、また詳しくその時のことが書いてあります。
詳しくここに書くことはできませんが
と言って書く・・・
狭いところに押し込められているので
折り重なるような感じなんです。
だから下になっている人から死んでいく。
そうすると、何の虫とは書きませんが
その虫が這い上がって
生きているけれど弱っている人につき
嚙み殺す、ということが起こるのだそうです。
そういうのがあの墓碑に書かれています。
当時の部屋はもうありませんでしたが
一枚目の写真の左側には建物があって
そこに、どこかの民家を持ってきたという
6坪の部屋があったようです。
墓碑がある方から見ると、こんな風景が広がります。
↓
お天気がよくないので、暗く見えますが
お天気がよければ、きれいな風景が広がっていると思います。
この日の夜、夜中に目が覚めて
ああ、呼ばれているかと思い、瞑想したら
この時の方々の代表と思われる方とつながったんです。
私たちは何か世の役に立ちたいけれど
どんな風にしたらいいと思いますか
みたいなことだったと思います。
私は現地にいた時に
もう大分浄化はされているものの
あの墓碑に書かれていることから
やはり何か悲惨さがにじみ出ていて
その域から出られていない、と感じたので
自分たちをもうかわいそうだと思わないこと
というように提案したような記憶があります。
(一字一句はよく覚えていないんです)
勇気ある人々であり
そのお陰で信仰が残っているのだから
肉体がない今は、自分たちの生き方を
誇りに思うといいのでは、みたいにも
言ったような気がします。
小さな子供でさえも、ひどい拷問に屈せず
最後までイエスを讃えていたのだそうな。
なんか、私も息子もキリスト教徒でもないのに
なぜにここに?と思わなくもなかったのですが
息子自身、五島列島に魅せられていて
それは海も山も自然すべてと
食べ物もお酒さえも、すべて合うのだそうです。
だから、このキリスト教徒の迫害されたことも
すべてひっくるめて共鳴しているのだと思います。
あの様子だと、ここに移住して、ガイドもできそうだ。
そしてその後、息子がもう一つ教会があるから
と言い、ある意味問答無用で連れて行かれたのが
旧五輪教会堂
今は使われていない教会で、新しいのが隣に立っています。
中に入るには前もっての予約が必要で
息子がそれもすべて行っていました。
それでそこに行くには、車でほそーい山道を通って行きます。
落ちるんじゃないの、とすっごくひやひやするほど。
島なので、下はすぐ海につながる崖です。
そしてそこを無事に通過して、もうこれ以上無理です
というところまで来たら、今度は車を降りて
山道を行きます。
↓なんか、こんな寂しいところを行くんですよ。
写真だと少しマシに見えますが、すごいところでした。
一人じゃ寂しすぎて無理。
そして、途中で湧水が湧いているところがあり
そこで水を汲んだら、少し元気が出て
少し歩いたら、こんな光景が広がりました。
↓
この左横は海で、船が着くところがあります
昔は同じ島に住んでいても、あの山道を行くのは無理なので
船で来たんだと思う。
なんか訳もなく、感動しました。
ああ、やっと着いた、と。
右のピンクっぽい建物が、今の教会で
その隣の隣が、旧五輪教会堂
↓
この手前の木が何とも言えないエネルギーを発していました。
中は、立派な教会で、木製ですが
イスラエルの教会と雰囲気は似ていて
質素ながらも真剣な教徒たちが礼拝されていたんだな
と感じるものでした。
それで、また元来た道を戻り
山道を下って行った時
道の真ん中に座るようにしていた大きな鳥がいました。
そろそろと車で近付いたら
こちらを振り返るように見て、ふわっと舞い上がり
どこかに行ってしまうのではなく
私たちの車の前を、目でよく見える高さのまま
しばらく飛んでくれたのです。
慌ててシャッターを切りましたが、うまくいかず
数枚撮って、ああ、うまく撮れたかも
と思った瞬間、もういいね、と言わんばかりに
どこかに行ってしまいました。
息子が、ああ、まるで神の遣いのようだね
と感動していて
自宅では全くそんな話はしないので
驚きつつも、私も自然に、そうだね、と答えていました。
↑結構大きな鳥でしたよ。
写真で見るよりも、迫力がありました。
なんだか、ご苦労様、と労ってもらったような
そんな感じもして、ありがたいと思いました。