出雲大社はやはりすごい聖地なのだな

と思いました。

 

そこにいた時と、帰ってから

深いところに光が当たったためなのか

ある種集合意識の中にある問題までもが

浮かび上がったように感じます。

 

それに対して

あちらにいた時は、ずっと自分の内側との対話をし

帰ってからは、カードを引いたり

氷川神社のお札に向かってお祈りしたり

と過ごしています。

 

出雲にいた時も思っていたのですが

人生において、いわゆる

いいことと言われることがあった時も

悪いと言われることがあった時も

どちらにも差異はなく

むしろ、悪いと言われることがあった時ほど

そのことを楽しむことをするといいんだな~

と思っていました。

 

ああ、今私は、この人生で

大きな節目を迎えているんだな~とか

すごいことを経験しているんだな~とか

そうやって俯瞰してみるというか

自分の人生なんだけど、自分のものだけでない

たくさんの魂の代表としての自分を

少しだけでも意識してみるといいのだと思うのです。

 

そうするとより守護が得られるように感じるのです。

要は必死にならない

そして、パニックにならないことが大事なんですね。

 

繊細であるが故、どうしても

嫌だな、とかって嫌ってしまいがちなんですけど

これは前にシャスタに行った時

ハートレイクを目指して歩いていた時

木の根っこに言われたんですけど

 

木の根っこがたくさんあるところで

あ、踏まないようにしなくちゃ、って思った瞬間

 

傷つかないから大丈夫だよ

踏まれても強いから傷なんかつかないんだよ

 

って言われたんですよ。

え!って思いました、その時。

だって踏まれたら痛いし、傷つくじゃないですか。

 

でもこれは私の思い込みだったのです。

意外と強いんですよね、私たちのようなタイプって。

 

セッションで色々な体験を伺う度

ああ、この方は、この方の魂は

本当に強いんだな

って思うんです。

どんな大変な人生だったとしても

今ここにいる、生きているということは

傷なんかついていないということ。

強い魂なんだってこと。

 

だから、いわゆる悪いと言われることがあっても

きっと大丈夫なんですよ。

必ず、たくさんのものをつかんで起き上がる。

 

転んでもただじゃ起きない、ってやつですよ。

そうやって、また強くなっていく。

 

出雲大社の拝殿前