日にちが経つにつれて、色々なことに気づいていきました。
あまり楽しくない、と感じたのは
楽しくなかったのではなく
苦しかったのだ、と気づきました。
貧しい暮らしをしている人々を見ることに
少しでも多く土産物を売りつけて儲けよう
と観光客に迫る人々に。
ネパールでは、同じくらいの感じだったのですが
違うのは、経済発展することを選ばなかった
というところ。
だから、首都カトマンズはわさわさしていましたが
地方に行くと、本当にのんびりとしていて
古き良き時代の日本を思い出すようで
すごく癒されたんです。
エジプトは、そこを諦めていないというか
枯渇感があり、狙っているという感じです。
それを見て、感じていることの苦しさ。
最中は、日本に生まれてよかったと思っていたのですが
深いところでは、何もできない自分に
日本人でよかったなんて思っている軟弱さに
がっかりしている自分がいたのでしょう。
買ってくれ、と訴える人たちを避けて歩くことを
ずっとし続けてきたので
それはやはりきついものがありました。
でもそこで財布を出せば、中を見られ
あるだけ奪い取るように
一個買っただけでは済まず
バスの中に入っても、乗ってからも
ずっと、商品を見せられ、ワンダラーと言われ続けるのです。
ネパールに行く前に、旅行社から教えられたことがあります。
寺院などでお金を物乞いする子供がいるけれど
絶対にあげてはいけない。
そこいらじゅうから同じ子供たちが集まってきて
せびられてしまう、と。
それを聞いているので、今回も基本そんな感じでいました。
ただ、帰国したときに
修行を終えた!みたいな少しの達成感と
清々しさを感じたんです。
こんな体験は日本にいたらできないことなので
貴重なことです。
本当は順を追って写真と共に紹介したかったのですが
この気持ちを表現するために、先に載せてみます。
これは、エドフというところだったと思います。
クルーズ船を降り、馬車に乗ってホルス神殿に行くところ。
馬が一頭、御者が一人、乗客は二人
という仕組みだったのですが
今画面左に小さく見えている子供がいますが
その子が走っている馬車に勝手に乗ってきます。
↓
一瞬で乗っかり、鞭で馬を叩きます。
この右側の御者さんは何も言わないので
この子はこうしていつも乗っかっているのでしょう。
将来は御者になるのかな?
ただ、この私
御者さんが馬を鞭で叩くのは、仕方ないなって思うんです。
でも、この子供までも叩くのは、かわいそうだからやめて、って
思ってしまったんですよね。
おかしいですかね?
こんなだから、ギザのピラミッドで
ラクダに乗ることができなかったんですよね。
なんだかかわいそうで。
この御者さんが途中で馬車から降りた時があって
この子供がしばらくの間、御者を務めていた時間があったんです。
え!そんなのありなの?って思ってドキドキしたんですけど
この子は慣れているようで、それなりに馬を操っていました。
どうして降りちゃったのかというと
他の馬車に乗っている人が、ペットボトルを落としたので
それを拾うためだったようです。
上の写真では、町の寂れた感じというか
それはあまり伝わらないと思います。
そこに差し掛かった時、驚いてしまって
カメラに手がいかなかったんですよね。
上の写真のところはきれいなところです。
無意識にですが、きれいなところのみ撮っていたんですね、私。
ここは、どこだったか
バスに乗っていた時、人がたくさん集まっていたので
撮ってみたのですが、ここは男性だけですよね。
↓
↓ここはなんと、女性だけです。
なんでも、これからお葬式に行くのではないか
ということです。
街には女性はほとんど見かけないんです。
お土産を売っているのは男性だけで
ちゃんとしたお店、レストランでも
サービスしてくれるのはみんな男性のみ。
女性は家で家事をしているのだそうです。
さすがに首都カイロでは、ホテルや空港で
女性が働いているのを見かけましたが。
↓
また、ここは
カイロに近い、サッカラというところですが
車と共に走っているのが、ロバの引く荷車。
カイロでさえも、観光用だと思いますが
馬車が普通に走っていました。
働く動物いっぱい。
↓
働く動物をかわいそうと思う私はおかしいのか
食べる心配がなく生きていけることは幸せということなのか
ここは今一つ自分の中でよくわかっていません。
自分の、あるいは集合無意識の中にある記憶
まさか、牛馬ということはないですが
奴隷の時の過去生の記憶から来ているのかもしれません。
それなら、目をそらさずしっかりと
その頑張っている姿を見なければなりません。
そして、ここまで平穏に暮らせるようになったこと
日本という国に生まれて不自由なく暮らせることに
感謝するのはもちろんですが
そこまでの努力を認めたいと思うのです。