ものすごいと自分では感じる浄化の嵐が治まると

何がテーマだったのかに気づきます。

 

自分の内側の光だけで生きてみよ

 

というものだった、とフッと気づきました。

いや~これ、きついですね。

いかに普段、外側の光を求めていたかが分かります。

 

つまりもっとわかりやすく言うと

誰かの承認から自分の存在意義を求めるのではなく

自分の光・・・

自分を信じて

神とつながっているところを信じて進む

ということです。

 

なんだ、信じていなかったじゃないか!

とも言えるくらい、グラグラになりましたが

何とか今ここにこうしています。

よく頑張った。

 

まだまだだ、ということがよく理解できたので

この修行、またこれからも繰り返し来るんだろうな

と感じました…トホホ (ノ_-。)

 

と、こんな約束を生まれる前に私は

神様としてきたんだろうか。

身の程知らずだよ。

もっとお気楽に生きたかったよ。

 

内側の光を強くすること

 

それはおそらく

自分の高次元につながっている

魂のもっと奥深いところからくる想いをキャッチし

それにできるだけ従って生きる

それが例え、誰からも理解、支持されなくても

ということだと思いました。

 

どんなに真摯に向き合ってきても

生きている限りエゴというものが消えることはなく

こうやって、自分の内側の光だけで生きる

というチャレンジともいえることをしていくと

消えるということはなくても

薄くなっていくんでしょうね。

 

この三週間

闇からの誘惑や光からの叱咤激励?

のようなことが、押し寄せ

それらはどれが光で闇なのかも判断しにくく

その都度内側に向き合って、聞いていくしかありませんでした。

 

あと、長年問い続けてきたことへの答えが来た

ということがありました。

その時、やっぱり自分にウソをつかずに生きて来てよかった

と感じ、ホッとしました。

多くの人がイエスと言うかもしれないけど

自分にとってはノーだという想い

それの答えが、不思議な形で浮かび上がったんです。

それも形が違う、二種類のもの。

ドラマチックだった~。

 

これらは、目に見えるものではないのですが

経験の引き出しに入れておくものであり

さらに、自分の中での「イエス」なことなのだ

と自信にもつながります。

 

今日は1月最後の日。

2月はお気楽に生きられる月であってほしいですドキドキ