愛には二通りあります。

 

神の愛と人間の愛

 

神の愛をギリシャ語で、アガペーと言います。

 

神の愛は無償の愛、無条件の愛ですが

人間の愛は条件付きの愛です。

 

人間の愛は、まず自分が愛されたい

が中心にあります。

私を愛してくれるのなら

私もあなたを愛してあげる

というもの。

 

ここは、いい・悪いではなく

そういうもの、と思ってみてください。

 

第3密度から第4密度に移行するこの時期に

人間の愛が自分の求める愛そのものであり

それをしっかりと得なければ

その先にある、目指すハイレベルの愛には

到底行きつけないのだ

とは思わないでください。

 

言い方を変えると

人間の愛が至上のもの、最高のもの

どうしても得たいもの、と

それほど執着しないでみてはどうか

ということです。

 

 

ここ数日

共依存というものを解明し、解消せよ

と言われているように感じています。

 

昨日一昨日と書いているのも

執着する愛の根っこの部分を解明しているつもりです。

 

共依存

過去、私はとてつもない大きな高い壁のように感じていました。

今でも、まだその壁は大きく立ちはだかっているようにも感じます。

 

執着する愛、共依存は

私の愛せるあなたであってほしい

そうでなければ愛せないわ。

それはダメ、それは嫌・・・

 

その思いを、色々な手段で

もちろん無意識で行います。

 

今回のマザーヒーリングで

愛には上下関係があり

上とされる立場から、下に向かって渡すもの

従わせるもの

時に傷つけ奪うもの

ということが出てきました。

 

神の愛には上も下もありません。

条件を付けて従わせるものでもありません。

ましてや奪うものでもありません。

 

先日の記事で、紹介した

ヒーリングを受けてくださった方が受け取ったメッセージ

それが、神の愛です。

気づけばそこにあり、誰でも受け取れるもの。

 

ただ、その気づくのが難しいんですけどね。

微かなささやきのような感じだと私は思います。

散々探し回って、もうダメだと諦めたとたん

す~っと入って来て、いつの間にかあり

それはずっと前からそこにあったような感じがするもの。

 

それで、私が言いたいのは

 

自分の望む愛

みんなが持っているように見えて

自分が持っていないように感じる愛

 

それはどうしても得なければならないものではありません。

 

もっというと

それがない自分はかわいそうな人間だ

等とは思わないでください。

 

そのままでいい

そのままのあなたで

神の愛は受け取ることができます。