実は今朝、大幅に寝坊しまして
朝8時にはホテルを出るはずが
8時半に起きたという・・・。
夜中に一度目が覚めたら、そのまま眠れず
仕方なく
旅行中は寝不足は堪えるので
導入剤を飲みました。
7時前に目覚ましを掛けたけど
起きられず。
そこから、昨日のアゲアゲなテンションが急降下。
焦る焦る。
焦るから、地下鉄の駅が見つけられない。
予定よりも2時間遅れで、目的地に向けて出発。
どうしたんだろうか・・・
と道中考えていて
考えても仕方ないのに、考えてしまって
帰りの新幹線の中で、どうにか答えが出たのですが
淡路島のあの、まるで神さまの御許に
行かせてもらっていたような
というか、まさにそうだという感じで
そういうのがずっと続くのではなくて
あれがスペシャルだったということ。
すぐに通常レベルになるべく、守護のサポートが入り
急降下、というか、いつもの私に。
それで気づいたのって
(淡路島で気づいたのとはまた別の)
私は、なんていうか
割と暗めの、そしてかなり静かなところに
まるで隠れているような、まぁ簡単に言うと隠居?
という状態でいることで、いろいろと分かったり
できることがあるということ。
それがいつもいる場所、スタンスという感じ。
キラキラ
みたいな状態は、ごくたまにか
若い人たちに譲るというか
まぁほんとに隠居さんみたいな感じです。
確かに、伊勢神宮では、特に書き並べることなどない
通常の感じだったし
(何かある時にはちゃんと言葉が下りてくるので)
3日目の今日も、寝坊したことは置いても
現地でも特に何もなし。
この、何もないのがいいんだなって、思うのでありました。
何もなくても、きっと何かが行われているはず。
神さまの手足であるわけだから
そこに足を運ぶだけでいいんだと思う。
手だけはしっかり合わせてきたし
行くべきところには行けたし。
寝坊して遅れたのだって
現地に着いてみて、ああ、そういうことか、とわかりました。
本当は明日、写真と共に書こうと思ったのですが
もったいぶっても仕方ないので
行った場所は
広島の厳島神社です。
2度目。
前回は、引き潮で
たくさんの人が、鳥居の前まで歩いて行って
それはそれでいいのかもしれないけど
私は海の中に浮かぶ鳥居を見たかったので
今度行く時は、満ち潮の時だって思っていたんだっけ。
今回行く前に調べたら
引き潮から満ち潮に向かって行く時で
きっと、寝坊せずに行ったら
まだ海水は浅かったと思う。
先月行った、伊予の国一の宮で
摂社として厳島神社が奉られていて
それがどうしても気になっていて
今回迷ったんだけど、今度いつ行けるかわからないので
思い切っていくことにしたのでした。
平日なのに、家族もそれぞれで食事するからいいよ
と快く言ってくれたので
それもあって、帰りの時間をあまり気にしなくてもよかったんです。
だから焦らなくてもよかったのに
長年の癖で焦る。
人間業で何とかしようとする癖がまだあるってことで
まだまだ修行が足りません。
続きはまた明日に~。