今朝、思い出したことがあります。

今、このタイミングで?とは思いましたが。


母のことです。


私の中で、母への想いが癒されてきたのでしょうか

柔らかな思い出が浮かんできました。


私が幼いころ

母の気分のいい日は

それは主に、今のような季節で

花が咲き、木々の若葉が芽吹く頃

よく、笹団子、草餅などを作ってくれました。

一緒に河原に行き、餅草…ヨモギを採り

茹でて裏ごしして、お餅・・・おそらく上新粉と混ぜ

そうやって作っていました。


その手順をそばで見ているのが好きだった!


春って、長い冬がようやく終わって

白黒の世界からようやくカラーになるという

そんな意味でも気分が上がります。


そんな時は、穏やかで平和で幸せだったな

大切に育てられていたな、と思います。


精一杯の愛ですね。


不満を探し出すと、こんな大切なことを忘れてしまいますね。

この世界に入る前、レイキを習って、自分癒しを始めた時

自分の幼少期を振り返って見ていったので

ネガティブな面にフォーカスしていたんですよね。


ある程度やったら、良い面も見て

バランスをとらなくてはですね。


でも、またここでネガな部分も出てきたんですけど。


母の精神的なところを支えるために

幼稚園、小学校から帰るとすぐ

友達と遊ぶこともせず、和裁の仕事をしていた母のそばに座り

ずっと話…主に愚痴を聞いていました。


ある時、体がだるくて、その辺でごろごろしていたんです。

母の話を聞くことができずに。

そしたら、子供のくせに、だらだらしていないで

外で遊んで来い!と言われたんですね。

それで仕方なく、外に出たんですけど

誰かと遊ぶ元気もなくて、庭に立ち尽くし

これじゃいけないと、体操なんかしてみたんだけど

もっとだるくなってしまって

家に入って倒れこんでしまったら

ようやく母が、私が熱を出していたことに気づいた、という。


それで熱に気づくと、母は

お布団をたくさんかけてくれて、水枕もしてくれて

頭もタオルで冷やしてくれて

おかゆを作ってくれて、熱を測ってくれて

お医者さんを呼んでくれる。


熱を出すと優しくしてもらえる。

元気な時は、しっかりしていないといけない。

そんな私なら愛される。

母に尽くす、言うことを聴く私でいなければならなかった。

それができないと、外に行って子供らしくしなければならなかった。


そんなこともあり、よく体調を崩していたのかもしれません。

中高校生になっても、そんなことはたまにありましたね。

弱かったんです。


子供を産み育てている中で、そこは成長したと思います。

鍛えられたというか。


まぁでも、これが私だということ。

いいも悪いもなく、これが私が選んだ親であり

人生の幼少期。


淡々と、自分というストーリーを

楽しむ、とまではまだ行きませんが

受け入れることをしたいと思います。