ここ数日、私の中で

定型発達という言葉が何度も浮かびます。


定型発達って何?という話ですが

ごく普通に、大きく一般とかけ離れない

一般的にこれが普通、という成長をしていくもの

と私の中では理解しています。


私は、自分では、就職し、結婚し、子供を持ち

それぞれを大学まで出した、というまでは

定型発達だったかもしれないけれど


まぁでも、発達って、就職するくらいまでで

その見方は当てはまらないのかもしれないけれど。


今、私的に人と違うなと感じているのは

3人もいる子供たちが、誰一人として結婚していないこと。

結婚していないから、子供(孫)もいないわけで

この頃、テレビや外で小さな子供、赤ちゃんを見かけると

何とも切ない気持ちになります。


これ、人として普通の感覚なのでしょうね。


でも、こんなマニアックな方面で生きている私だから

生まれてきてくれた子供たちとも、おそらく

定型外の、相当変わった契約をしているのかもしれず


そういう、いわゆる普通、という流れになるには

それにこと、結婚というところで止まっているので

ここにきっと何か大きな意味があるのでは

と思うのです。


私の学び、気づきと

子供たちの学び、成長などが関係している

呼応しているのではないか、と思うのです。


普通、親としては

定型発達を遂げない子を持つと

他の人と比べて

自分の子育てが失敗したのか、とか

母親として失格、というような感覚になると思うんですが

ここは、この私

きっと何かがあると思うんですよね。


失敗とか失格とかではなく

おそらく

ユニーク

という言葉が当てはまるような気がします。


あ、ここまで書いて思い出しましたが


よくあるご相談で

それも、お子さんを持つお母さんからのご相談で

不登校とか、引きこもりとか

あとは学校になじめないとか

そういう場合


お母さんが問題と感じる、そこに問題があります。

子供はお母さんの目覚め、気づき、霊的成長を促すため

定型ではない発達をします。


いくつまでが呼応するかわかりませんが

少なくても、そういうお子さんを持つお母さんには

霊的な目覚め、進化成長をする必要があり

子育ての経験を、その後の人生に生かす

という目的使命があります。


これはほぼ皆さんがそうで、間違いありません。


だから、きっと私もそうなんです。

インディゴチルドレンの結婚

これに何か意味があるのだと思います。


欠けているように感じるもの

足りないと思うもの

ほしいと感じること

そこに私の気づき、目覚め、成長のカギがあるのでしょう。


道のりは長いです。