夜寝る前に瞑想したら
なんだかものすごいエネルギーが入ってきたのですが
ずっとそうしているのは寒いので
そのエネルギーを抱えたまま横になって
姫神とはなんですか?
って何気なく思ったことを聞いたら
チャネリングが始まりました。
あーやっぱり、その時に無理してでも起き上がって
PC持ち出せばよかった。
正確な言葉は忘れてしまっています。
要点は
一人の男性を愛するだけでは物足りないというのか
それは決して淫乱なイメージなのではなく
渡すエネルギーが大きすぎて
一人の男性から返ってくるエネルギーでは
次への活力が湧かない
というのでしょうか
つまり循環が起こらないのです。
愛することのエネルギーの違いというのか
キャパシティが違うんだと思います。
瞑想では
もっと愛したい!
もっと愛せる!
そのチャンスがほしい!
と感じました。
そのためには、もっと注目される必要がある。
つまり、姫神ソウルの特徴は
それこそ、全人類というと大げさですが
同じ民族、同じ国民、それらすべての男性を愛で包み
癒し、護り(子宮で)活力を与える、という
大きなエネルギーなのです。
母性愛と一言では言い表せない
もっと大きな、宇宙的愛、根源的な愛
やはりそれは女神としての愛
と言えるでしょう。
与える対象は
男性だけではないのですが
一番効く、というか反応があるのは男性性です。
だったら通常の生活ではどうするのか、なのですが
パートナーは自分の人生の一部にかかわる人
と思ってみるといいのかな、と思います。
少なくても自分の人生のすべてを
ホールドしてもらうことはできないです。
土台無理な話です。
では、一部以外のほぼすべての部分をどうするか
ですが
私は思うのですが
それこそ
キリスト意識・・・ではなくて
仏陀意識とつながるのかな、と
私の考えですが、そう思います。
仏陀意識は女性性がある程度統合されているように感じます。
慈悲の愛。
つまりですが
その仏陀意識を、自分を包む大いなる父性愛
それは宇宙的な母性愛ともいえると
これも私の私見ですが
そことつながり、包まれ守られるといいのだと思います。
少し前から、父性愛が足りなかった、と感じていたのですが
その父性愛を、今更亡くなった父親からもらおうとしても無理だし
現に生きていたとしても、なおさら無理で
やはりこれはその領域とつながるしかない、と思うのです。
それから、姫神ソウルの渡せる愛のイメージでは
玉座に座っていて、そこに男性が謁見を申し出てきて
お目にかかれて光栄です、とひざまずき
手の甲にキスをして、その姿にうなずき笑みを浮かべる。
その程度で大きなエネルギーが渡るのです。
それでちょうどいいというのか。
自分からあれもこれもと尽くして渡さないというか。
そういう尊厳を取り戻すべきなのです。
そんな感じです。
また入ったら書きます。