もっと大きな出来事・気づきがあるのですが

その前に、ここまでの気づきの続きを。


熊野の、神への畏敬を感じる自然の中で過ごしていて

感じたのですが


人間がたくさんいるところにいるから

人に奉仕しようとするが

自然の中にいると、自然と仲良くして

人類のための奉仕をしようとするから

やはり自然にもっと意識を向けることが大事



確かに、こちらに戻ってくると

もう自動的にスイッチが切り替わり

自然よりも人間に意識が向くわけです。


気質が周りとの融合を求めているので

自然がわずかで、人間優位的な

つまり人間の住みやすい環境の中にいると

そこで適応しようとするのですよね。


自分の本質みたいなものが、さささっと消えてしまう。


今回の熊野では、すぐに本来の自分に戻っていたようで

だから、バスの中で大声でしゃべる人や

神社で騒ぐ子どもなどに違和感を感じたのでしょう。


こっちが私の本質なのですね。

騒がしいのが嫌い。

静かな環境の中で自分らしく生きたい。


でも、悲しいかな、こっちに戻ってくると

それを忘れてしまう。

そして、何とか人間の社会で適応しようとする。


あの、自然の中でこそ自分らしくいられるという

そこでこそ自分の本質が出てくるということを

もっとここでも意識して生きて行きたいです。


そうすると、これまで見えなかったものが見えてくる。

あの、初めて見たものが

今度行ったときに果たしてあるのだろうか。

私はあの時幻を見たのだろうか。

そんな風に思えてしまう体験は、本当に貴重でした。


これがもしかして、今後普通にあるという

多次元に生きるということなのだろうか。