帰国後、一夜明けて
色々わかりました。
まず、昨夜は寝ついてすぐに
悪夢六連発!
寝付く、すぐに悪夢を見て起きる
そしてすぐに寝付き、また見て起きる、その繰り返し。
(まぁ、でも、イスラエルから帰ってきた時には
首を絞められて息が出来なくなって目覚めるだったから
かなりマシ)
全ての内容をよく覚えているわけではありませんが
共通していたのは
いわれもない罪に問われ、ひどく責められ
というか、私を責めている人たち
その当人の罪を着せられている、というもの。
罪人とは、自分の罪を認めたくなくて
善良な、お人よしな、もっというと
どうぞあなたの罪を私に被せてください
と言う、修道士的魂の持ち主に
それならあなたのせいにしてあげるよ!
とやってくれるわけですね。
それってまるっきりキリストそのもの。
つまり、修道士の魂ですよね。
報われない人生そのもの。
昔はこうやって、世の、人の罪を代わりに背負って
救済をしたのです。
古いやり方です。
そういうのが染みついているんですよね。
そしてそんな自分にどこか陶酔している部分も
過去にはあって
今回それを完全に止めるぞ!という決意のもの
アイルランドに行ったのかもしれません。
そういえば、講師の先生が選んだ場所に行ったわけですが
全て廃墟になった古城とか、廃墟になった修道院跡
荒涼とした場所、聖人が修行の場として選んだ場所ばかりだったんです。
アイルランドってこんな暗いところなのか
と嫌になりながら周っていたので
それであまり楽しく癒されなかったのか
と思いました。
帰ってきてすぐ、夫が
「そう言えば前に録画したアイルランドの街の風景の番組があるよ」
と教えてくれ、見せてくれました。
それはとても明るく、美しく、楽しそうで
なんだ、アイルランドには、こんなにきれいなところがあるじゃないか!
と思ったのでした。
そして、その先生は、「ね?いいでしょう?」を連発。
特に、私にその言葉を何度もおっしゃいました。
「タラの丘と、ニューグレンジはよかったですけど
ここは・・・」と答えたのが
もうボロボロになった廃墟の修道院跡。
クロンマックノイズ、と言います。
後から写真をアップするので
この本文と照らし合わせて感じてみてくださいね。
悲しいほどに寂れていて
たしかに美しいと言えなくもないけれど
私はこういうのは嫌だ!
と強く感じたんです。
だから、アイルランド滞在中に一日2~3時間しか
まとまって眠れなかったのも
修道士の魂が浮かび上がってきたからかもしれない。
先生も、「わたくし、まったく眠れないので、本を読んでいるのよ」
とおっしゃっていたし。
自宅に帰ると、7時間まとまって眠れたのが
本当によかった。
もうまとめて睡眠を取ることが出来なくなったかと思った。
ああいうところに行くと、私のようなエネルギーに敏感なものは
そこの負のエネルギーなどごっそり吸い取ってきてしまうんだろうなぁ。
それでこの悪夢だったんだと思います。
頭痛もハンパないし。
もう、修道士、勘弁してもらいたい。
先生は本当にパワフルで
70代後半だと思うんですけど
この廃墟になった修道院跡を名残惜しそうに
最後まで飛び跳ねるようにして見て周っていました。
帰国の途に就くときにまた、そこの話をされるので
思わず
「先生は前世であそこで修道士をなさっていたのかもしれませんね」
と言ってしまいました。
先生は怪しがらずに
「そうかもしれないわね」とあっさりと肯定されました。
納得されたのかもしれません。
修道士というか、司教さまとか、そんな感じかも。
この年代の方はきっと、この民衆の罪を被って世を救う
という考え方を継承し
それを手放すところまでは決めていないのかもしれません。
私にバトンを渡されたのかもしれないと思いました。
いやはや・・・
大金を出して、お休み取って、色々と調整もして
家族にも負担をかけて、そうやって行ったのに
これか、と思うとなんだか悲しくて
もうすぐにでも、セドナに行って癒されたい
せめて国内の温泉とか
出来れば熊野に行きたい
などと思ってしまうのでした。
修道士的生き方は、もう本当にごめんです。