神の手足になるということについて
相手がいる何かのワークで
相手の方が不満に思われたり
結果としてうまく行かないとかいう場合
普通はがっかりするじゃないですか?
でも、神の手足として働いている場合は
「私」がやっているわけじゃないので
「私」の責任と思わなくてもいいらしいんです。
なるほどです!
そんなことを、真夜中
老犬に起こされて、すぐにまた眠れない時
瞑想して受け取ったメッセージです。
これが導管として存在する、パイプを提供するだけ
ということなんですね。
自分がやりたい
私がやったんだ
と思いたい気持が少しでもあるから
責任を感じたり
結果が気になったりするんですね。
普通は自分が関与したことなら
うまく行ったか
喜んでもらえたか
何かのお役に立てたか
等を気にするのですが
そんなことは不遜なことなんですね。
神のエネルギーを通すのだからね。
先日の定期メンテの施術中に
もっと偉そうにしてるといい
みたいなことを感じて
ええ~
って思ったんですけど
それはいわゆる私がイメージする偉そうではなくて
堂々としているとか
私の責任じゃないもーん的な
どこか人間離れしたような感じですかね
そんな感じになれってことなのかな、って思ってみたんです。
楽になるでしょうね。
悲しいかな、人間臭さが手放せないでいる私。
でも、それが課題の私。
それがより、強い光で闇を照らす場合の
一番のプロテクションにもなるようです。
今度こそ、人間やめます。
(って、何度言ってるか…。)