ここ最近気になっていたのが

今更?と自分でも驚くんですが


毒親 とか

アダルトチルドレン とか

そういった経験を克服しつつある方のブログや

様々な書き込みなど


それが自然と目に付いていました。


なんで?と思いつつも、気持ちのままに読んだりしていました。


そしたら、自分がもっと親との関係から気づく必要があった

ということに、とあることから気づかされました!


そうやって、これまでも、またですか?というような

自分癒し、気づきをし続けてきました。

癒し、気づきがある程度起こると

それが必要な方がすぐにいらっしゃる。

そして私の体験や気づきを通してお伝えすることになります。


これが私の天命というか、宿命ですね。


なので、見つめて気づくを行っていきたいと思います。


とりあえず・・・一番先に思いつくのが

母の望む親孝行は死んでもできない!

ということです。


それは私自身を殺すことになるから。


それで、私にもさせてもらいたい親孝行

渡したい愛があるのですが

それが親の望むことと合わない訳です。


親は、特に私の母の場合は

子供の方からかしずくようにして

親には恥をかかせることなく


こうでしょうか?

ああでしょうか?

などと、機嫌を取りつつ接していくことを望んでいます。


子供の方から(お嫁さんからも含む)

ぜひにと頭を下げて、黙って、逆らわずに

させてもらうことを望んでいます。


上下関係、支配ですね。


そういうことに私は幼いころから敏感に反応して来て

気持ち悪さを感じていました。

でも、逆らうと母の機嫌が悪くなるので

それはつまり、大げさに言えば私と弟の命をも危うくするので

それがあって、逆らわずに、気遣いもして

それが合わないと怒られて

そうやって子供時代を母に捧げてきました。


危うくするとはどういうことかというと

母が精神的に不安定になれば

家事…特にご飯を作ること

または、生活の様々なこと

生活の質ですかね

私たち姉弟への世話

これの質が低下します。


命がかかっているわけです。


ここでちょっと叫んでみると


子供だったから

自分たちでは何をどうすることもできなかったから

命を預けていたから

だから言うことを聞くしかなかったんだよ!


ということ。

親子って、自分の命綱を握られている関係ですから

それはもうどうすることもできない訳ですね。


母から今も感じるのが

育ててやったんだから、親孝行して当たり前

ということなんですけど

親孝行とは、させるとかしてもらうではなく

子供が自然にその気になってしてくれることを

ただ感謝して受け取るだけということ。


確かに大人になってからも

特に子育ての時に、孫の世話という形で

とってもお世話になりました。

感謝はすごくしています。


しているから、時々

あんなこともしてもらった、こんなことも・・・

などと思い出し

その都度感謝しています。


母が施設に入ってからは、落ち着いているのか

母から送られてくる念は、前よりも軽くなってきています。

前は重かったから~。


子供の時に殺していた、本当の私

それは今ちゃんと見つかって来ていて

だからもう、あの頃の生き方には戻りたくない。

本当につらかったから。


親は親の時代の苦労があり

それは本当にご苦労様だと思うんですけど

それと子供の人生は別。


子供は自分の人生を輝かせることを考えて行けばよくて

親のために生きていくのではないということ。

本当にこれからは個人主義になって行くのでしょうね。


個人が生きる生き方を確立して

それから家族や周りと真の意味でつながって行く

そんな風になるために

今は過渡期の混乱期なのだと思うのです。


大好きだけど、一旦離れる

みたいな感じですかね。