花実のブログ * * * はなうたモード

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近況です。お陰様で元気です。

相変わらず、この放置ブログに目を止めて下さる方はほとんどいらっしゃらないと承知の上なのですが、
しかしその稀な方々へ近況報告を…と思いまして、アメブロを開いています(今回はスッ…と開けました。良かった。)
見て下さってありがとうございます。

イギリスに戻って来て既に一ヶ月が経ちました。
忙しぶるつもりは全くありませんが、ここひと月程は実際ばたばたしておりまして、ここへ来てようやく物事が軌道に乗って来たような感じがしています。

小泉八雲記念館さんで人前に立たせて頂いた時などにも、うっかり言いそびれたのですが、大学は無事に卒業しました(←こう書いてみて、「言いそびれるようなことか」と、今、思いました)。

イギリスの大学は、入るのも大変だが出るのはもっと大変、
と聞いていたのは、本当でした。こんなに猛勉強しないとならないものなのだな、と。「学位」は、並大抵の努力には与えられないものなのだな、と。

もちろん(と言うか、一応)、適当にやって適当に卒業できることもあるでしょうが、イギリスでは卒業時の成績がその後の人生に大きく影響する(らしい)ので、適当に卒業出来ればいいや、と思っている学生はあまり居ないように感じます。きちんとした成績を修める為に、その後の人生に役立つ知識をしっかりと身につける為に、皆猛勉強するのです。
そういう学生達になんとか食らいついて、たくさん学ばせて貰いました。先生方からも学生さん達からも、教えられ、引っ張り上げて貰い、助けて貰って来ました。

それで、わたしもどうにかこうにか卒業出来まして、
今は同大学の大学院に居ます。

院生になったら、これまでとはなんか全然待遇が違うので(大変快適。専用のオフィスのような場所も用意されているので、図書館の席取り合戦から解放されて本当に楽になりました)、院に入れて貰えて良かった、と改めてしみじみ思っているところです。

わたしを受け入れてくれたこの大学と大学院に、本当に感謝しています。
引き続き、そして新しい気持ちで、学問に邁進したいと思います。

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大学院入学式。大学院全体では無く、カレッジ(ホグワーツ魔法学校で言うところの「組」。ホグワーツの中のグリフィンドール、みたいな組織)のものです。

(ネット上に既にアップされているものなので、わたし個人がこうして上げても多分問題無いのでは無いかと考えて、写真の写真を上げています。)

右手の方にやや緊張気味な顔で写ってますが、元気です。


ライブ、心より、ありがとうございました

小泉八雲記念館 ミュージアムコンサート、

無事に終了致しました。

お越しくださった皆様、

お問い合わせ下さった皆様、

心より、ありがとうございました。

 

(お問い合わせいただいたものの、キャンセル待ちになってしまって結局ご入場いただけなかった方々もいらしたと伺いました。本当に申し訳ございません。

感謝しています。わざわざ本当にありがとうございました。)

 

今回は、「ファンタジーナイト」というテーマでお贈りしましたので、

特に小泉八雲を<ファンタジー作家>としてご紹介したいと思い、

その人生と生活のバックグラウンドにあった当時の文化や思想のことなども織り交ぜつつ、1時間半ほど歌と朗読とトークをお届けいたしました。

 

 

今回読ませていただいた

「私の守護天使」(原題:My Guardian Angel, または Cousin Jene)

という作品は、八雲記念館の那須野学芸員におすすめいただいたものです。

那須野さんがご説明下さいましたが、生前に作品として発表されたものでは無く、没後に発見されたもので、八雲の少年時代の記憶をつづったものでした。

 

幼少時を過ごしたダブリンの家で出会い、八雲の心に暗い影を残して去って行ったジェーンという女性の記憶ですが、

あの有名な作品「むじな」(アレ、あの、のっぺらぼうが出て来るヤツ)を書く上でのインスピレーションとなった出来事だったのではないか、ということです。

元はけっこう長い(短編ですが、声に出して丸々読むとなると、聴く方にとっては多分長い)ものだったので、わたしがばっさばっさとカットしたのですが、そうしたらなんかコワい部分だけが残ってしまったみたいで、来て下さった中学生の女の子に

「怖すぎてトラウマ」

みたいなことを言われました。

申し訳ない。

それは本当に申し訳ないことをしてしまった。

ファンタジー作家としての「怖くない八雲」をご紹介するはずが、

いたいけな少女の心にトラウマを残す結果になろうとは…。

 

この話で語られた「ダブリンの家」は、今現在はツーリストホステルとして使われており、わたしは数年前に偶然そちらに宿泊したことがあったのですが、

この話を知った上で、また行ってみたいという気持ちになりました。

わたしは、「オバケを見たい」とはまっっったく思いませんが、

怖い話も超のつくレベルで大の苦手ですが、

八雲という人の少年時代に会いに、もう一度行ってみたいなあ、と。

今、彼がダブリンを離れてその後の数年間を過ごしたダラムに自分も居られるということが、改めて不思議ですし、その縁のようなものを奇跡のように有り難く思います。

それが無ければ、このように歌わせていただける機会なんて、きっと無かったと思いますし。

わたしが「人前で歌を歌うようなことは、もう無いのだろうな」と思いながらイギリスへ行ったその先に、故郷へ帰って歌わせていただくための理由となるような縁が待っているなんて、思いもしなかったことでした。

 

 

とにもかくにもですが、

この度もまた、本当にどうもありがとうございました。

 

写真の無い、ルックス的に愛想の薄めな記事になってしまいごめんなさい。

 

皆様本当に、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大変ご無沙汰いたしております。ライブです

なんということでしょう。

ほぼ一年更新せずに時が過ぎてしまいました。

だれもわたしを覚えていない気がします。

 

そんなひどいありさまのこのブログ、

今さらどなたが見てくださるのか…と思いつつもなのですが、

大変お久しぶりでございます。花実でございます。

 

この度久方ぶりに「更新せねば」となりましたのは、

ライブをさせていただくことになったからだったのですが、

もう案の定アメブロが、どうにもこうにも開けなくなっていて(←完全に自分のせい)、

遅くなりまして…、

なんと、ライブ、あさってです。

…おう…。

多分既に、意味のないお知らせになってしまった気がします。

「もっと早く知っていたら行きたかったのに」

と思ってくださる稀な方が、このページに目を留めて下さる稀な方の中にいらしたら、

そんなお気持ちに対して大変に申し訳なく思います。ごめんなさい。

 

焼津小泉八雲記念館 ミュージアムコンサート

花実ライブ&トーク ~ファンタジーナイト~

9月24日(日)18:00会場・18:30開演

入場無料(要申し込み)

お問い合わせ:小泉八雲記念館054-620-0022

 

お申込みはお陰様でいっぱいだとのことなのですが

(わたしのではなくて、八雲記念館さんのファンの方がたくさんいらっしゃるので、

そういった方々のお申込みで即日満席になったそうです)、

キャンセル待ちの枠もございますので、

もしもお問い合わせ下さる際には

「超久しぶりに更新された花実のブログを見たのですが」

と言ってご相談いただけたらと思います。

なんなら、もしもわたしの直接の知り合いであるならば、

「あの子はわたしが育てたようなものだ」

などと言ってねじ込んでいただいても大丈夫かもしれないと思います。

 

直前のお知らせとなり、申し訳ございません。

 

又、すでにお申込みいただいた方々にも、感謝申し上げます。

24日、小泉八雲記念館にてお待ちいたしております。

 

花実

 

 

 

 

バンクーバーの事件

カナダのバンクーバーで、留学中だった日本人女性が、現地の男性に命を奪われてしまったとのニュースを目にしました。

こういった事件は、本当に全く他人事では無く、いたたまれないことこの上ありません。
自分は無事に平和に生きていますが、それはたまたま日々幸運だからなのだと改めて思いますし、
しかしおそらく被害者の方も「自分は無事に平和に生きていて幸運だ」と思っていらしたところへの突然の不運だったのでしょうから、誰も決して特別では無いのだ、と思います。

わたしが、個人的に最もたまらないと感じるのは、こういった事件に対する、日本人からの冷たい反応です。
インターネットのニュースの下の方についている、一般の方々の「コメント」の数々ですが、ちょっと目を通してみてゾッとしました。
「自業自得」とか、「世間知らず」とか、被害者の方を馬鹿にするような言葉ばかりが並んでいます。
「知らない人について行く方が悪い」
「そもそも海外へひとりで行くのが悪い」
「外国人なんか信用したりするから悪い」
そんな内容ばかりです。被害者を侮蔑し、見下し、余計に傷つけるようなものばかりなのです。

わたしは日本を好きですが、こういう時ばかりは、日本という国の村社会っぷりが恐ろしくなります。
都会へ出て事件に巻き込まれ亡くなった同朋を、「東京なんかにひとりで行くのが悪い、自業自得じゃ」とこき下ろし、亡くなった方とそのご遺族を馬鹿にして村八分にする様な陰湿さだと思う。

確かに、彼女は油断していたのかも知れませんし、知らない男をうっかり信用してついて行ってしまったのかも知れませんし、それは、迂闊だったかも知れません。
けれど、だからと言って、彼女の行動のすべてを否定して見下すのはあまりに心無いと思う。
「そもそも海外へひとりで行くのが悪い」
なんて、完全に村人の閉じた思考では無いですか。都会になんか行くから悪いんじゃあ、当然の報いじゃあ、というような。
ひとりで海外へ出られるだけの語学力やマナーを身につけているかどうかは確かに重要な点かも知れませんし、その国の言語もルールも何にもわからずに適当にふらつくのはもちろん不用心ですけれど、
「そもそも海外へ出るな」
は、ひどい暴論だと思う。ずっと日本村に閉じこもって居なきゃならない理由は無い筈なんです。

「そもそも外国人なんか信用すべきでは無い」
というのも、日本人以外の人を人として認めないような排他的な考えで、他国の人々の良心を踏みにじるような発言だと思います。
犯人は間違い無く悪人ですが、カナダ人みんながそんなであるはずが無いでしょう。それなのに、「日本人じゃないんだから、民度の低い外国人を信用すべきでは無い」などという書き込みも見られ、この人は日本人がどれだけご立派だと勘違いしているのだろうと驚くと同時に、日本人以外を決して信用しないという人種差別発言には悲しくなります。
皆人間です、日本人と同じ人間です。関わる中で信用は出来て行くし、友達にももちろんなれます。悪い人もいるでしょう、しかしそれは日本でだってどこでだって同じです。

わたしが居る街は、イギリスの中で「二番目に治安の良い街」だと言われていて(一番がどこかは知らないが)、あまり神経質にならずに暮らせるところです。
とは言え、やっぱり自国では無い上に、わたしの場合は見た目ですぐに外国人(日本人)だとわかるわけなので、(外国人でも例えば東欧や北欧系であれば見た目ではイギリス人なのか外国人なのかほとんどわからないけど)、目立ちはするわけですし、変な酔っ払いに道端でいきなり罵声を浴びせられるようなことも、時にはあります。ですから常にどこかで気は張っています。
しかし、だからと言って、この国の人達や他国から来て居る人達に「気を許さない」なんてことはありませんし、出来ません。仲良くなる努力をしますし、気も許します。わざわざ国境を越えて来たのはこっちですから、こっちがいまここで心に壁を作るのは、この国の人達に対する最大の失敬だと思っています。わたしがイギリス人なら、「仲良くする気がないなら来ないでくれ」と思うでしょう。
(実際彼らがよく、中国の方々のことをそのように愚痴っているのを耳にします。
「いつも中国人だけでかたまって中国語で喋って、こちらのマナーには合わせず、我々と仲良くしようともしない。一体何をしに来ているのか。」
と。中国人にも色んなひとが居ますから、例外も沢山居ます。が、典型的な中国人、というのであれば、正直言って同感です。)
仲良くする努力、地元に馴染む努力、それが、受け入れてくれる現地の人達への敬意だと思っています。
今回の被害者の方だって、もしかしたら、そういう気持ちだったのかも知れません。単に、地元の人と仲良くなろうとした、それだけだったのかもしれない。相手が怪しい男性で、迂闊だったのだとはしても、彼女に油断があったのだとはしても、亡くなった被害者のことを、「ヘラヘラと男にくっついて行った尻軽女」みたいなイメージで勝手にとらえて糾弾するのは、乱暴だと思います。
彼女は、被害者です。日本でだってどこでだって起き得る事件に巻き込まれて亡くなった、被害者なのです。彼女の行動とこの事件から、生きている我々が学ばねばならないところは多いとしても、彼女が亡くなって尚、さらに他者から責められ貶められる必要は有りません。
「あーあ、自業自得だよ、被害者が悪いんだよ」
なんていう、被害者を見下して勝手に悦に入る様な世論が席巻する日本が、どの外国よりもよほど恐ろしいように感じてしまいます。

わたしも、よりいっそう気をつけて過ごそうとは思います。
が、何が起こるかは誰にもわかりません。万が一この身に何か起こったら、わたしも又、
「この安全で素晴らしい日本村を出て、おんなひとりで野蛮人の国なんぞへ行った当然の報いじゃ」
「そうじゃそうじゃ、自業自得じゃ」
と、言われるのでしょうか。そんなことになれば、わたしの両親は、娘を失った上に馬鹿にされコケにされ傷付けられ、どんなに苦しむことになるかわからない。そういう日本なら恐ろしいです。


被害者の方の御冥福を御祈りすると共に、彼女の名誉が守られる様、これ以上ご遺族の方々が余計に辛い思いを重ねることの無い様、願います。



















謎の猛暑とLGBT


イギリスへ戻って来て、一ヶ月ほど経ちました。
なんだか、まだ日中は日差しが暑かったりしており、驚きです。
聞いた話、8月は雨ばかりでさほど暑くも無かったらしいのですが、この9月のイギリスは106年ぶりだかの猛暑だと。
なんでだ。修造松岡か。彼が近くに居るのか。
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先日、初めて、学会というものに参加して来ました。(←今まで全く縁の無かったものに興味深々)
知っている先生が仕切っているものだったので、なんとなく気軽に行ってみたのですが。
テーマとしては
「人間の性についての科学と神学」
だったのですけれど、
始まってみたら、出席者の多くがLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)で、なんというか、「学会」「研究」なんていう澄ました感じでは無く、
苦しみ抜いた先に光を見て生きている、自分らしく生きる覚悟を決めた人達の強い生の声が、津波の様に押し寄せる、そんな濃い二日間でした。
多分、参加者の中で同性愛者で無かったのは、わたしとあと2〜3人というところだったと思うのですが、
だからなんか「わたしここに居て良いのかな」とちょっと思ってしまったりもしたのですが、
冷静に考えたら、良いも悪いも、別にみんななんにも変わらないんだよな、と。結局のところ。
だって、ひとがそれぞれ好きなものが違うのは当たり前のことなんだし。他人が、自分が全然好きじゃないものを「好きだ」と言ったからといって、それを
「そんなのを好きだなんてお前はおかしい」
と責めるのは馬鹿げているでしょう。そんなことを始めたらキリが無いし。
男性に、「男が好きだなんておかしいんじゃないかお前」と言うのと、「奥さんブスだな、あんなの好きになるなんておかしいんじゃないかお前」というのと、突き詰めて考えたら似たようなものだと思う。
誰を好きになろうがヒトの勝手だ、ほっといてくれ、ということでしか無い様に思います。

皆、そういう風に、生まれて来るのです。いつだって、人口の一割くらいは(隠している人も多いからもっと居るんじゃないかと思うけど)LGBT だったのだから、ずっとずっと昔から。

KABA.ちゃんが、正式に女性としての人生を歩むことになった、というニュースを目にして、個人的にすごく、嬉しい気持ちになりました。これでようやく、心のとおりに生きられるのだな、と。
もう10年くらい前か、テレビ番組で彼女が性転換手術をしているか否かを訊ねられて、
「してない。年齢的にもう無理だと思う。出来るだけ若い内にしておかないと男性の身体が出来上がってしまうから、16歳くらいまでになんとかするのが理想だけど、日本ではなかなかそれは難しいし、自分はとっくにその時期を過ぎてしまった。」
というようなことを言っていたのを覚えています。その時、
じゃあ本当は性転換手術をしたかったんじゃないの、「本当はしたかった」と思いながらずっと生きて行くのは辛いんじゃないの…
と、勝手に心配になったのを覚えています。
だから良かった。
まだまだこれから美しい40代50代60代その先も、彼女が幸せに生きられることを願いますし、そういう懐の深さを持った社会になって行くことを願います。

学会発表の中で、一例として上がっていた「LGBTを全く迫害しない宗教」が、日本の神道でした。
神道は言葉少なだから、迫害もしないかわりに推奨もしてないわけではありますけれど、
しかし、少なくとも、NOとは言っていない。全然なんにも言っていない。「個人的なことはほっといてくれ」と言わずとも、八百万の神はほっといてくれてます。
そんな神様たちの守る日本だから、多分、もっと自由になって行って良いはず、と、考えたりしています。

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