「虚面の逃避」第6分冊 早乙女裕之

第6編 本心

 自己が判断を誤ることを自己で責めるべきではないのであると思う。なぜならばそこに理屈を並べても始まるものではないからであると思う。理屈とは自己の困難を紛らわす手段であるが決してその理屈によって人間は自己を正当化することは困難であると思う。人間の困難とは把握するまでもなく必然であり、ならば断念する勇気もときには必要なのであると思う。その決断とは自己のためだけであろうかと考えたときにおいて私は異なると思う。人間が物事を断念した場合においてはその効果が他人に影響を及ぼす場合があるのであると思う。そこー物事の断念ーに人間の無気力が生じるならば極力において人間は断念する前において覚悟をする必要があると思う。その覚悟とは死だけを意味するのではなく、その覚悟という強い根拠を今度は目的へと変えることであると思う。人間は目的に死を選択したからといって悲観することは無いのであり、その目的を避けるために必死に生を受けるほうが余程において困難であると思う。死は弱い人間が選択する常套手段であり且つ常套手段であるならば人間は死に慣れてしまったと考えるべきであると思う。人間が死に慣れたときに人間は死に目的を懐けなくなるのであると思う。その暁として人間は死に鈍麻して困難に負けたときにその道を選んでしまう可能性もあるのであると思う。人間が死に理由を求めたときにおいてその理由が確信に至る場合があるのである。そのような覚悟を自己の意思で行うことほど酷いことは無いのであり、それを実行できる勇気が在るならば死の恐怖に直面して自己の方向を変えることのほうが有意義であろうと思う。そこに人間の原動力が在るならば死自体は無駄ではないが無駄ではないならば最後まで使う必要はないと思う。恰好を付けて安易に死など口にするべきではないと思うし死に直面していない人間ほどよく使う言葉であると思うがそこに彼の臆病な態度が見えるのであると思う。死に悩んだ人間は決して口にしないものである。なぜならば語るー意識ー必要がないからであると思う。私は意識とは人間の「認識空間ー理解ー」における主体的判断が受容した「ところー意欲ー」の対象の評価ではないと思う。紀子が「おいしい?」と謂われれば私は否定したかったが彼女にどう理解させるべきかは迷った。私は「紀子が味見したんだろ、おいしいよ。」と言ってみた。「理由はそれだけ、ねえ?」と再度に尋ねるあたりを見ると相当に昔の自分に似てきたかと私は思った。私は「紀子、今度は私が特権を紀子に与えるから。俺は義務だけ行使させてくれ。義務として言えばまた作って欲しい。」と私は嘘はつくべきではないと思ったが「負担にならない嘘」であるならば私の秘密にしておこうと考た。「理由って何だと思う?」と彼女にふと尋ねてみた。紀子は「今日、朝ね、思い切って行けなかった場所に行ったんだ。」と謂われて私は「理由はそこにあったのか?」と尋ねると「お墓に聞いても教えてくれないでしょ。」と謂われて私は選択を誤ったと思う。なぜならば次の言葉が先に浮かんでしまうからである。「理由は時期にわかる、君は既に悩んだだろ、その理由について。」とぼやかして尋ねたが彼女の返答がない。私は「紀子、理由はさ、自分で解釈したこととは限らないぞ、その解釈をときには曲げる必要もあるんだと思う。」と強気に切り出した。「どういう意味?」と食い下がるような目つきに彼女の心の怒りが見てとれた。「君には少し若すぎる。私に話してみないか。」と言って紀子は全て私に語ってくれた。私は「それが君への当て付けではないと思うぞ。」というと彼女はヒステリックに「じゃあ、誰への当て付けなんですか。」と反抗してきた。「当て付けはね、愛情の裏返しなんだ。」と言ってみたが彼女はやはり泣き出した。彼女の言葉を封じ込めようと思った。「責任は重いだろ、私に貸してくれ。」と言った。紀子は「それが権利行使?じゃあ私は否定する。」と言ったので「私が知りうる方法は?」と言うと「一緒にどうですか。死んでくれます?」と謂われて私は試してみた。「俺もそうしたかったんだ。」と言うと紀子は「じゃあ今日ですよ。」と覚悟を決めた。私は確かに言ったと思う。「本気か?」とである。彼女は黙った。私はこれで何とか解決しないかと思い「人は誰でも自分を責めるがその代償は誰が追うと思う?」と言ったとき彼女は黙った。私は連続させることに意味があると思い「誰が代償を追うと思う?紀子じゃないぞ、その人だぞ。」と言って「二重に殺すのか。」とも尋ねてみた。「矛盾だね。」と彼女は落ちついた。私は「紀子、矛盾って何か理解してるか。」と優しく諭すと「理不尽なのかな。」と言うので私は「その理不尽を理解しないか。」と言った。彼女は「達治は医師だよね、私の心読める?」と謂われたので「読む必要なないと思う。君が十分知ってるわけだからね、私はもともと内科医なんだ。処方箋を出すから薬をもらって来なさい。いいね。」と言って鎌倉の材木座海岸への行き先を紙に書いて渡した。「先生、海なんて行って何を?」と尋ねるので私は処方箋に書いた住所の脇に文面を綴った。彼女は「そうなの?」と言って私に近づいてきた。紀子は「私が海岸で泣いてあげようか?」と言うので私は「それは私の責任なんだ。今紀子が言ってくれた言葉を私がしないといけないだよ、君が死んだときは。残酷だと思わないか。」と尋ねると紀子は「一緒に苦しむこことになると思う。私と一緒だと。」と言って退けたので私は「それが根拠となるんじゃないか。」と言ったところ紀子は「お互いそうだよね。対等だね。」と言ってくれた。私は「対等は当然お互い苦しむと思う。それが必要だと思うよ。人間には。」私は言ったが自信のない素振りをしてみた。「私がその疑問を解消させる。私が先生を励まします。」と言ってくれた。私はこの再度において立場が入れ替わった状況が彼女を良い方向ー妄想ーへと導くのではないかと期待を寄せた。私は思った理由とは何でもよいと。ただその理由の化けの皮ー粛清ーが剥がれないような『根拠の秩序』だと思った。人間が絶対において否定するべきは自省の手段として自己の精神を粛清するべきではないと思う。ここに粛清とは人間の戒めである手段として目的を維持しないところの「評価の対象ー理想or倫理ー」であると思う。例えば淫女の定型判断は困難であると思う。淫女ー背徳感ーを自己で意識したときに人間は結果としてそう判断してしまうと思う。思うに男は女性に「理想」を求めたときに観念において淫女を意識するからこそ「欲求ー性欲ー」が維持できると思う。逆に男が女性に道徳を維持させたときに女性は「奴隷ー妄想ー」となると考えるべきである。いざ診察になって妙子の顔を見ると私に対して偽善の愛情を求めているようには思えないが私は一か八か賭けにでた。「馬場さん、私の診療の長くなりますね。どうですか。今度お食事も。当然ご主人の俊雄さんには秘密ですが。」と謂われた妙子は戸惑った様子で固い決意で「先生、私には夫がいます。そういうものの言い方は。」と謂うので私は「失礼なことは理解しています。わざと失礼なことを言いましたが今私が理解できることは馬場さん、貴方は御主人思いの奥様なんですね。」と初めて彼女の夫婦関係の話へと意図的にふった。「私の主人は立派なんで。」とだけ言って遠くを見つめた。「馬場さん失礼は恐縮ですがご主人をもっと離れた距離から近くを見ようとしたらどうですか。当然にぼやけますよ。」と言ったところ妙子は「今もぼやけていますが。」と不思議な言葉を述べるので私は「ぼやけた先にご主人はみえますか?」と妙子に尋ねた。妙子は「主人はいいんです。」とだけ言うので私は彼女がぼやかして見たいのは姑である馬場恵美であることを理解できた。私は意図的に「以前のカルテを見るとお姑さんとは関係が良好だそうですが私だったら結婚したら妻を優先するんできっと妻と姑の関係は拗れますがそれでも『私』は妻を取りますがね。」と私は妙子に理想の関係を喚起させてみた。すると妙子は「先生『は』は優しいんですね。」と話に乗ってきた。私は妙子に「妙子さん今私「は」と言いませんでしたか。その理由を何でも構わないので説明していただけませんか。」妙子は「私には理由など有りませんが。」と言ったので私は「その言葉を御自分の心に自問してみてください。」と言った。「私は夫と結婚したんです。義理の母親と結婚したつもりはありません。そういう意味ですか?」私は「妙子さん、貴方がご自分の心に『私には理由がない』と自問した結果として貴方は理由を知ったわけですよね。理解できますか。義理のお母様と関係が冷めているのではないでしょうか?」と妙子がどのような顔つきになるかを確認したかったとのである。妙子は「関係ではないんです、事情なんです。」とだけ言った。私は妙子が非常にぼんやりした顔になっているんで「今日はそろそろやめましょうか。」と言ったところ妙子は「私もやめたほうがいいのかしら。」と謂うので私は「私にはやめられないと思うな。誰かを大切に思うことですがね。」と言ったところ「大切ですか。」と妙子が言ったので私は「妙子さん、誰かの身代わりはいますよね。貴方は身代わりではないですよね。」と言ったところ「そうとは限りません。」と言った妙子の肩が沈んだ。私は最後に「そろそろ肩の重みを下ろしませんか。」とだけ言った。妙子は言ってみせた。「それが矛盾なんです。」とである。妙子はその後に診察室から無言で出て言った。カルテを書いてるときに私は思った。妙子には姑への醜い怒りのようなものがあることをである。更に私はやはり矛盾だと妙子が言うのは妙子自身を含めた彼女の感情ー起伏ーがあると思ったので私は処方として鬱病の薬を増量し抗不安薬を夜だけ多少増やそうと思った。私は思った。人間の理由の方向など無意味であることをである。妙子を見ていてそれを妙に感じとれると思った。人間の理由の先が非情であるならば、その先に見えるのは恐らくにおいて人間の性(さが)への求めー女神ーではないかと思う。私は女神とは自己で許容できる範囲において清らかな精神を懐くところの「評価の対象ー理想or倫理ー」であると思う。やっと元気がでた紀子は「達治。一緒にお風呂に入らない。」と謂うので2人で湯船に浸かりながら私は紀子に尋ねた。「女性が非情の先に見えるものって何かな。」といったところ「私は達治かな。」というのである。私は紀子に「いあや、患者の馬場さんいるよな、彼女のことを考えると彼女の先には人間の性っていうか憤りかな、そういう人間の憎しみしか見えないんだけどね。」と言ったところ紀子は「私は達治の非情さから達治への愛情を意識したかな。」と言うのである。私は湯気で霞んだ紀子の顔がぼやけて見えたが紀子だと分かるし現に紀子はここにいる。では何故に妙子は霞の中に俊雄が見えないのかと思うと既に妙子は俊雄を見限ったとも思えた。ならば彼女が自身を矛盾と意識している原因はどこに或るのかと考えたときに彼女は自分のプライドというか人間の本質である欲求を殺していると考えると妙子がいう『関係ではないんです、事情なんです。』という言葉が妙に気になるのであった。私は紀子に「紀子、こういった一緒に裸で風呂に入るとか女性はどう思う?」と尋ねたところ「いいよね、裸の関係も。」というのである。私は妙子と俊雄の間には夫婦としての営みはあるのではないかと思う。では妙子が抱える事情とは大人の事情なのか、それとも女としての事情なんかに悩んだ。仮に大人の事情であるならば何らかの柵(しがらみ)であるに違いないと思うし仮に女の事情であるならばそれは「慈しみ」であろうと思った。私は彼女が孤独の中でもがき切った結果としての「強制としての俊雄への愛情」だとするならば妙子の矛盾とは愛情という蟠(わだかま)りー義理ーであると思った。妙子が夫である俊雄に負い目を追っているとしたらその負担を与えたのは妙子の自虐的な愛情ー嫉妬ーとなると思う。やはり俊雄の前妻である彼女が言ううに俊雄という男性は巨勢された子犬だと思えるが矛盾が生じる。なぜなならば私はさっき妙子と俊雄の夫婦関係はあると仮定した。ならば妙子は何を苦しみ自虐的な愛情を俊雄に捧げているのか府に落ちない部分のほうが多いと思った。私は『もしや』と思ったが、それはないであろうと思った。仮に彼女が女としての努力を強制されていたらと考えると彼女と俊雄の夜の営みは強制かもしれないと思った。私は結局において妙子が自分自身の体を俊雄に捧げてると考えるならば説明が上手くつくと思った。彼女の矛盾とは意外と夫との性生活を否定したいが、それを強引に行う俊雄の『事情』が背後にあると考えることは出来やしないかと思った。紀子は湯船から上がり裸体を顕わにした。私は「恥ずかしくないよな?」と言った途端紀子が噴出した。当然だと私も思う。当然の裏に矛盾があるとすれば妙子は俊雄に辱めを受けてないであろうかと思えた。そこで私は紀子に「2人で風呂に入ってるところを他人に覗き見されたら嫌なもんだよな。」と謂ったら「私は個人的な問題だと思うよ、相対的っていうのか?」と謂われて私は気づいてしまったが妙子に診察とはいえ聞ける内容ではないと思ったしここだけの話にしようと思った。「紀子、女の努力って何かな。」と謂われて「出産とか女が女であること?かな」と謂われて私は罰をみたような気分に襲われる気分ー矛盾ーを意識した。私は矛盾とは人間の阿鼻叫喚としての志向を人格として許容したところの対象の評価であると思う。私は共通とは自然に迎えるところの人間の営みであると思う。それを歪めようとするのは実は人間の欲望の場合があるのであると思う。人間は欲情に狂う場合があるが、それは人生の中においては子供染みた遊びなようなものであると思う。人間はそこで学ぶのであると思う。人間は権利と義務の関係を離れたところでしか無限の想像を喚起できないのである。辰野はその卓越した想像力に自信を持つべきであると思う。人間の想像は無限を超えないと思し一定の人間の価値として定めるものなのであると思う。私は人間は大いに想像を掻き立てる権利を有するのであると思う。妙子は自己の想像に義務を意識しているのは権利を強制されているのであると思う。人間は他人に義務を科すこともときに重要であると思う。それは一定の秩序に維持されて初めて成立するのである。人間の悲しみは維持されるべき秩序の破壊によって導かれる場合があるのであると思う。人間は一時の色恋を慎重に進めるべきであり、そこに事実としての感情が芽生えるのであると思う。人間はそれを時に急ぐものであり、それも自然の為せることでもあるのであると思う。自然は酷いことを看過するべきではないと思う。その仕打ちは冷淡に実行されるのであり、それによって人間は破滅の道も可能性としてはあり得るのであると思う。そのような自然が齎す破壊を防ぐのが人間の規範であると思う。悲しいかな人間の規範は決定されてるのである。その規範を地道に進めばどのような結果を導くかは己が知っているはずであるのであると思う。人間の規範という欲情は他人に押し付けるものではないのである。よって共通とは人間の自我を抑制したところの理性としての合意であると思う。私は紀子に「俺は安心していいと思うよ。離婚したい場合は簡単だしな。このような用紙は法律そのものだから。」と紀子に言ったところ紀子は「結婚のときから離婚って考えてるの?初めから?」と不満足そうな顔をした。私は思った。自分が法律を破っていることをである。いつ私の医師としての身分の詐称を見抜く人間が現れてもおかしくないと意識したし現実だと思った。私はこの道しかないが彼女には別の男性が現れる可能性が高いと思ったからである。私は彼女の人生を狂わせることだけは避けたいと思った。そのためにも彼女の前では取り乱すことなく精神科医という立場を維持しようと思ったのである。そのときに紀子は「達治嫌いになったら言ってよ。」と謂われたので十分に説明する必要を意識したのである。「紀子、勘違いしてるか、俺がだよ?」と言ったときに紀子は「約束しない、お互いが。紙に書き出さない?」というのであり私はいい機会であると考えた、もしかの場合には自分から約束を破ることが可能となるからである。そこで私は「私が約束を決定していいか?」というので紀子は「いいよ。任せる。」と謂うのであり私は紙に『私が医師を辞めたときは貴方である紀子と離婚する』と紙に書いて紀子に渡した。紀子は喜んだ。「え、死ぬまで。」と糠喜びさせたことを悔いた。私は辻褄を合わせようとして「医師の魂が社会に『ばれたとき』には辞めるべきなんだよ。」と諭した。引っ掛かるようで紀子は「また嘘つくの?」と謂われたので私は「実は私は過去に医療過誤事件を起して被害者の遺族に支払うべきお金を踏み倒したんだ。そのうちに弁護士に見つかると思う。その時に私は自分から医師という仕事にけじめをつけるんだ。」と言ったところ紀子は「その借金はいくら?」と聞くので私は「紀子には何をしても無理な額だから。心配するな。」と言ったところ「女も稼ごうと思えば稼げると思うけど。」と言ったので私は否定した。「なお紀子さ。目的があって自分で責任をとれる時に謂うべきだぞ。」と安易な道を絶った。「じゃあ、そこまで心配しているにも関わらず何故に約束を作るの?」と謂われて私は答えに窮した。私は「君には悪いが俺は結婚にだけは拘束されたくないからだ。君が嫌いな訳ではなく結婚が嫌いなんだ」と後で辻褄を合わそうとした。「紙を出さないほうがいいんじゃないの?」と謂われて私は「違うんだ。私は多額の生命保険金に入っている。受取人を君にするから私に何かあったら被害者の弁護士を探してその受け取った保険金を医療過誤の被害者への償いだと言って渡してもらえないか?」紀子は「事実なの?誰その弁護士って?『弁護士大観』ってあるよね?後でさ図書館で確認したいから弁護士の名前を教えてくれる?」と謂われて、私は咄嗟に名前がでなかった。勝負に出るしかないと思った。「その弁護士の名前はね東京第1弁護士会の『鍋島政義』先生だから」と依然に図書館で読んだ本の登場人物の名前を出して信用させようとしたが紀子は「何か私に隠し事してない?」というので「え?」と惚けて見せた。途端に「先生もそういう冗談を理解できるんだ。」と謂われたので私は黙った。「先生。騙してごめんね。はっきり言うわ。私を見て気づきませんか?」と謂われて私は困惑した。「歳が離れていますもんね?」と謂われて更に混乱した。「私は確認したかったんだす。大好きだった姉が最後に好きだった男性を。」と謂われて私は何もかも『消したく』なった。「先生、私は姉と違って感情で生きている女ではないんです。私も迷いました。でも姉の疑問を晴らすために学士入学してなったんです。弁護士に。」私は混乱に混乱をきたした。私は「もういいよ。私は医師を諦めるから。で?結局何のために?」と謂われて「先生に相談が在るの。今の患者いますよね。馬場妙子。入院したときの身元引受人を知ってると思いますが。」と謂われて私は気が付いた。「神田芳江か?」と慎重に言葉を選んだ。「どういう関係だ、一体。」と断固として言った。