(71)アメリカ映画『シェイム』 | 最上典世のJAZZCamel

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  アメリカ映画『shame』――ブログ(70)の続き。

 主人公は、会社に出ているとき以外、道を歩いているときも、家にいるときも、SEXしか頭にない。いったい、パソコンのポルノ画面など、二十歳の男の子なら飽きないかもしれないが、それに何時間も費やすのはまるで無意味だ。しかし彼は、地下鉄に乗っても、スマホをいじくるのではなく、本を読むのではなく、ぼんやりと周囲を見ている。少し経験のありそうな女と目が合うと、ほほえむ。向こうがほほえむとそれを暗号と見て、降りるときに着いて行く。しかし、混雑の中で見失う。

 一般の女と愛について語ることはない。そして、一般の女、SEXのことをH(エッチ)と言う女や、休日に恋人と公園を歩いて未来について語り合う女、とはうまくSEXができない。

 下心がどうとかこうとか女とやり取りする前に、売春婦を部屋に呼び、欲望を処理する。要求がはっきりしているから遠回りをしない。

 会社では優秀な営業マンであるから金はある。NYの、海が見える高級マンション上階に住み、ときには真っ裸でガラスにへばりついて女のうしろから攻める。

 こういう生活に妹が転がり込んでくる。この妹も、愛=SEXであり、すぐに男に体を許し、捨てられては、電話口で「捨てないで、愛している」と叫ぶ。まるで、電話が恋人だ。妹は、兄の上司と三人で飲んだ後に、兄の部屋にきて、上司と関係する。

 兄はこのとき、ようやく、自分の部屋で妹が男と関係することに嫌悪感を抱く。それも、家には妻と二人の子供がいる、クソといいたい上司と関係するのだから。自分だって同じくらいにクソなのに。ここの異質な気分、違和感、これが『シェイム』にちがいない。

 この映画は、良しあしではなく、一度見た後に、自分のSEXについて考えてみる機会をもたらす。

 この映画が衝撃をもたらすと言うなら、それは次のことだろうか? 

 世間は、癒しだ、おもてなしだ、いたわりだ、つながりだ、思いやりだ、と盛んにきれいごとを語り、皆それに寄っていこうとする。その空気に反旗をひるがえす者は異端とされる。そういう空気の中で、この映画は、みなうそっぱちだと言っているふうだ。

 だれに話しても胸は収まらず、女でもホモでも、だれとSEXしても本当の快感はなく、満たされることはない。しかし、夢中だ。ちょうど、電車に乗らないと会社に行けないように、SEXをしないと正常な生活ができない。美醜などくそくらえだ。

 SEXは記号となっている。