ブログネタ:携帯電話持ち始めたのいつ?
参加中
比較的持ってる人は多かった。
いかがわしいものじゃなくて、なんかの会員で希望者にだけ抽選で当たるというものだった。
そんな一生持ち続けようなんて思った、お気に入りの携帯も1年で買い揃えた予備バッテリーも使えなくなり、
本文はここから
携帯電話を持ち出したのは大学生の頃、
かれこれ13年前くらい
その当時はポケベルからピッチに移り変わる頃で、
携帯電話が異常に高くて学生には手の出せないシロモノだった(特にNTTドコモ)、
といっても、多分今と同じくらい(5~6万円)だった気がする。
ところが、ポケベルやらピッチはタダで貰え、あとは通信費という少し前までの携帯の流通と似ていたので、
比較的持ってる人は多かった。
俺は、なんか変なコダワリがあって、ポケベルにもピッチにも興味はわかず、持ったこともなかった。
なぜ、お金のない学生の頃にポケベルやピッチではなく、望みどおりに携帯を所有できたかというと、
懸賞で当たったからである。
いかがわしいものじゃなくて、なんかの会員で希望者にだけ抽選で当たるというものだった。
しかも、NTTドコモ
携帯電話の中でも一番高くて、そこでも変なコダワリがあって、同じ携帯でもIDOとかでは嫌だったので、
『あの高くて手が出ないNTTドコモが貰えるんなら』と思い応募したら、見事に当選、
契約申込書が送られてきた。
ただ、補欠だったのか、応募要項では、当選品はNOKIA製だったが、
その後、送られてきたのはこれだった
Motorola製の『M101』というモデル。
正直その頃はどこの携帯メーカーが欲しいとかはなかったので、
『NTTドコモならなんでもいいや』
なんて思ってた。
でも、電池パックを開けてみると
“MADE IN USA”
と書かれていて
『うわぁ~カッコイイ、アメリカ製だぁ、コッチの方がいいじゃん』なんてミーハー根性で喜び、
即座にモトローラファンになった。
そしてそれ以上にビックリしたのが、
実家の電話番号と下4桁が頼んでもないのに一緒だったコト、
付箋に書かれた携帯番号を見て、
『ウチの電話番号間違ってんじゃん』とつぶやき
『えっ、もしかしてコレって携帯の番号』と、契約書を見返し、分かりやすいくらいの2度見をした。
今となっては番号を選べるサービスがあるけど、当時はそんなのはなく、
万に一つの偶然としか思えない確率だった。
もう嬉しいのなんのって、NTTドコモで、アメリカ製で、しかも電話番号が実家と下4桁一緒で・・・。
その時、一生この携帯持ち続けようなんて思ったっけ・・・(大げさだけど)。
とにかくサイズは大きかったなぁ、さすがアメリカ製(・・・って関係ないか)、
当時出てた他の機種より明らかに大きくて、利便性にも欠けていた。
なんせ、テンキーの上にカバーが付いていて、それを開けないとなんの操作も出来ない仕様だった。
ほんと蓋だけ・・・。
さらに、あまり電池の持ちもよくなかったので、Lサイズの電池も買い揃え、
それがまたデカクて重い。
ただでさえデカくて重い携帯を、さらにデカくて重い仕様に仕上げてくれた。
でも、アメリカ製ってだけで、すごく気に入ってた。
そんな一生持ち続けようなんて思った、お気に入りの携帯も1年で買い揃えた予備バッテリーも使えなくなり、
NTTドコモに持っていったら、バッテリー買うなら、もう1つ前の携帯が安くなるから、
と薦められて買い換えを決意した時はなんだか寂しかった。
また、モトローラ製が良かったんだけど、この機種で日本撤退してしまったらしく、さらにショックだった。
・・・で、気持ちを入れ替え、店員さんに
「一番売れてない機種はどれですか」と尋ねた時に、
「SONY製です」と言われ、
「じゃ、これで」と天邪鬼な俺は二言返事でソニー製に飛びつき、そこからソニー好きに火が付き、
ソニー、SonyEricsson製品全般が好きになっていったような気がする。
今となっては生活で必要不可欠な携帯も当初は電話しか出来ないという、
オママゴト的な大して利用用途もない、
学生にとっては完全なぜいたく品の憧れから始まったんだなぁと振り返ると、
携帯がこんなに進化してるのには、改めて驚かされる。
ただ、一番最初に懸賞で貰えた俺の携帯1号機『M101』も大事に箱に入れて、実家に保管してある。
一生使うことは出来なかったけど、一生取って置くモノには変わりないかな、
持ち続けるって意味では・・・。
当然電話番号はその時頂いたものを、そのまま使い続けてる。